もうすぐ世界遺産!?日本のはじまり古代飛鳥の王家の谷を巡るアカデミックツアー[後編]

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四天王寺大学後援会では、在学生の保護者を対象に年に1回「アカデミックツアー」を開催しています。今年は11月8日(土)に、現在、世界遺産登録を目指している「飛鳥・藤原の宮都」から、飛鳥エリアを巡るアカデミックツアーを開催しました。ナビゲーターを務めるのは、文学部日本学科で文化観光学や日本考古学を専門とする辰巳俊輔講師(以下、辰巳先生)。それでは、[後編]スタート!

道標に見る昔と今

次は飛鳥駅の西側、牽牛子塚(けんごしづか)古墳に向かう道中、趣のある佇まいの古民家を横目に一行が歩いていると、辰巳先生が道中にある道標で立ち止まりした。

「さて、何て書いてあるでしょうか?」

右:ち?ら、ごせ、?んかうさん、道
左:おかてら、?せ、?ふの?、いせ、道

正解は、、、
右:ちわら(茅原)、ごせ(御所)、こんかうさん(金剛山)道
左:おかてら(岡寺)、はせ(長谷寺)、とふのみね(多武峰)、いせ(伊勢)道
と書いています。

辰巳先生は、「この道標があるということは、当時たくさんの人が往来したことを示す手掛かり。皆さんが立っている所も、明日香と御所を結んでいた古道。左の最後に伊勢があるのもポイントですね。奈良県内にある古い道標に”えど(江戸)”と記載のあるものもありますが、遠すぎですよね。」と笑いを誘いました。この道標の裏面には「安政五戊午年、八月吉日」と彫られており、当時は江戸時代で西暦1858年に建てられたものです。このような昔の道標を探すのも面白そうですね!

牽牛子塚(けんごしづか)古墳

明日香村の民家を抜けて、牽牛子塚古墳の全体が見通せる場所に到着しました。これから、あの先にある古墳まで坂道を登っていきます。坂道は、緩やかに登っていけるように整地されていますので、お子様でも安心安全の道となっています。

この古墳は江戸時代には認識されており、墳丘がアサガオの花びらのように多角形であったことから、当時の書物に「あさがお塚」と記されており、そのように呼ばれていました。アサガオの繋がりから、その種子を乾燥させた生薬「牽牛子(けんごし)」の名称が付けられたとされています。

古墳の多くは盗掘に遭っており、副葬品のほとんどが失われていますが、過去の盗掘者が見逃して残されたものも見つかることがあります。辰巳先生は、学生時代に牽牛子塚古墳の発掘調査に参加していたそうで、昼食時も古墳の周りで小さな副葬品が眠っていないか、ずっと目を凝らして探し続けていたそうです。

牽牛子塚古墳も中尾山古墳と同様に数少ない八角墳の1つで、石室が二室に分かれている特殊な構造で、かつて越智と呼ばれた地域に所在することなどから、斉明天皇と間人皇女を葬った小市岡上陵(おちのおかのうえのみささぎ)の可能性が高いを言われています。

発掘調査の結果、墳丘が弱体化しており、一刻も早く保存する必要があり、整備されることとなりました。辰巳先生は古墳の調査から整備、活用にも携わったそうです。

この古墳を後世に伝えるべく、劣化した墳丘や石室を復元し、石室も間近にみることができ、学習教材、観光資源としても活用できるようになっています(石室の特別公開は有料・事前予約制)。また復元の際に、たくさんの地域の子どもたちによる未来へ向けたメッセージを残す取り組みも行われたようです。遠い未来、次の古墳修復の機会に発見されるだろう、というロマンが隠されているそうです。

越塚御門(こしつかごもん)古墳

牽牛子塚古墳の発掘調査時に新たに巨石が発見され、これまで文献史料や地元の伝承でも一切知られていない、新しい古墳が見つかりました。それが、この越塚御門(こしつかごもん)古墳で、所在する大字と小字から命名されました。

『日本書紀』には斉明天皇陵の前に孫の大田皇女を葬るという記述があり、牽牛子塚古墳と越塚御門古墳の立地関係が合致することから、ほぼ疑いないとされています。

模型広場にある模型から見た牽牛子塚古墳と越塚御門古墳の立地関係

岩屋山古墳

アカデミックツアーの最後の目的地は、岩屋山古墳。近鉄「飛鳥」駅にほど近い場所で、民家のすぐ隣にあります。1854年(江戸時代の幕末)の『聖蹟図志(津久井清影)』では岩屋山古墳の石室と考えられる表現があることから、この時代から既に石室が開口していたことがわかります。

石室の構造から7世紀前半から中頃と推定されており、日本の古墳研究の先駆者でもあり「日本考古学の父」と呼ばれているウィリアム・ゴーランドが明治時代に訪れた際、「舌を巻くほど見事な仕上げと石を完璧に組み合わせてある点で日本中のどれ一つとして及ばない」と評価するなど、岩屋山古墳は国外の研究者からも注目されました。

石室は丁寧に加工した切石を用いていますが、2段目の石材は内側に傾いており、天井は1枚の石材で構成されています。この構造は、大阪府太子町の聖徳太子墓(宮内庁治定)や奈良県桜井市の文殊院西(もんじゅいんにし)古墳の石室と類似していると言われています。

三度、近鉄「飛鳥」駅でゴール

岩屋山古墳から近鉄「飛鳥」駅に戻ってきて、今回のアカデミックツアーはゴールとなりました。辰巳先生から「世界遺産登録をめざしている飛鳥を巡る今回のツアーで、明日香村の古墳と歴史に興味を持って頂けたでしょうか。駅周辺にはキトラ古墳を含め、まだまだ古墳がありますので、プライベートでも遊びに来てください。道の駅には明日香村の特産物もありますので、是非お土産も買って、満喫して頂けたら幸いです。」とコメント。

参加者コメントより

  • ●近畿圏に住んでいながら、世界遺産登録が予定されていることも知らなかったので、アカデミックツアーで新しい情報がたくさん学べて楽しかったです。
  • ●辰巳先生が実際に古墳の調査や保全に携わられた実体験から、裏話までたくさん聞けて大満足です。次回も参加したいです。
  • ●2回目なのですが、昨年アカデミックツアーに参加された方との再会もあり、そういった面でも楽しかったです。とても勉強になりました。ありがとうございました。

アカデミックツアーは、毎年秋頃に開催しています。
ご興味を持って頂いた在学生保護者の皆様、来年のご案内を楽しみにお待ちください!!

ナビゲーター:辰巳 俊輔 / たつみ しゅんすけ

四天王寺大学 文学部 日本学科 講師

担当講義:考古学・日本の世界遺産・観光データ分析/ツーリズム論、地域・文化発信演習など
研究分野:文化観光学、日本考古学
関連リンク:四天王寺大学 文学部 日本学科

WRITER
わわわ編集部
関連リンク
明日香村:ホームページ
世界遺産「飛鳥・藤原」登録推進協議会:ホームページ
四天王寺大学:文学部
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