多様な社会に生きる中で、
お互いの違いを理解し、
受け容れ、調和していく。
相手を尊重し、自らを高めていくには、
すべての人々に向ける「こころ」が必要です。
四天王寺大学では、聖徳太子の教えである
「和の精神」「利他の精神」を原点に、
「知識・技術を修得する学び」に加えて、
「こころに、学びを。」という想いも
大切にしていきたい。
そんな想いのもとに、
四天王寺大学の学生たちの
こころにまつわるエピソードの中から
いくつか選んでまとめました。
四恩とは
2017年の夏。私は大学内にあるさくら坂で転び全治1か月の骨折をしました。人生で初めての骨折でした。人生で初めての骨折でした。私はこの1か月で多くの友達に支えられました。その当時のことを書きたいと思います。私は保育コースに所属しているため、2回生時は毎日1限から5限まで授業がありました。そして、その授業で松葉杖の私を助けてくれていたのが、一緒に毎日学んでいた保育クラスの皆でした。朝、移動のために少し早くきていると、早く来ている友達が声をかけてくれたり、夏の暑い日で坂を上がるのに15分近くかかり、熱中症になりかけていたら、また別の友達が日傘をさしてくれて、一緒に上ってくれました。一番仲のいい友達二人は授業と授業の合間の移動を授業に遅れてしまってでも支えてくれたり、精神的に支えになってくれたり、車いすを暑い中、坂でも押してくれたり。当時は毎日が申し訳なさと、思うように歩けない苦しさで、ずっと「ありがとう」「ごめんね」「ありがとう」「ごめんね」の繰り返しでした。ただ、友達が私にしてくれたことって、まさに、人を思いやる気持ち。和の精神ってこういうことをいうのではないかなと考え、また、この経験を踏まえて私自身も思いやりの心を意識することができるようになりました。「本当にいい友達・クラスに恵まれたなあ」と今でも保育クラス、一番の友達には感謝しかありません。ここで改めてお礼を言います。本当にありがとうございました。
大学 3年
私は人見知りで、大学に入ってからしばらく友達ができなかった。体育館に入るところに傘を入れると4桁の数字を設定して傘をロックできる傘置があり、授業前にそこに傘を入れて、数字を設定しロックをかけたが、授業後に傘を取り出そうと思ったらロックをかけた番号を忘れてしまい、傘がとれなくなった。母からもらった大切な傘だったのでどうしても諦めることができず、ひとりぼっちで格闘。そうすると、同じクラスの女の子6人がこちらにやってきて「どうしたん?傘とれへんくなったん?番号何?」と声をかけてきてくれた。すごく心細くて泣きそうになっていたところへ声をかけてくれただけで、嬉しくてたまらなっかった。その女の子たちは4桁の数字の組み合わせを一から全部試して「開かへんなぁ〜。」と大苦戦。その時間はちょうどお昼休みだったので、みんなお腹が空いていたはず。それなのに何十分もわたしのためにガチャガチャと鍵とにらめっこ。すると、そのうちの何人かに女の子が「誰か人呼んでくるわ!」と言って鍵を持った職員さんを連れてくてくれた。ようやく鍵を開けてもらうことができ、傘も無事に取り出せた。みんな早くご飯が食べたかっただろうに時間を費やして私を助けてくれた。しかも、その子たちは私に「早く一緒にお昼ご飯食べよ〜!!」と言って輪に入れてくれた。3回生になった今でも、私はその子たちと一緒に毎日お昼ご飯を食べている。
大学 3年
少しでもみんなが幸せな気持ちで過ごせる時間が増えたらなと思い、小さなことに思えるかもしれないですが、道端に落ちているゴミを拾ったり、服屋さんで服が棚から落ちていたらもとの所にもどすなどを心がけるようにしています。また、大学で掃除をしてくれている人などを見かけたときは一言「ありがとうございます」とお礼を言うようにしています。掃除をしてくれている人がいるから毎日気持ちよく過ごせることを忘れないようにと思っています。また2回生になり、入学当初時間割やテストについて分からないことだらけで不安になったことを思い出し少しでも1回生の役に立てたらなと思いピアサポーターに所属しました。これからは少しでも不安を取り除けるように、もっとみんなが相談しやすい場所にしていきたいです。
短期大学部 2年
大学構内ではゴミが出る。木々は美しいが枯れ葉を落とす。春夏秋冬、様々な美しい景色をキャンパスで観ることができるが、それは大学をきれいに保ってくれている人達がいるからこそである。それは清掃員の方々である。大学2回生の冬、食堂の前の芝生エリアは落ち葉の絨毯だった。しかし、清掃員の方はこれを手際よく一箇所に集めてくれている。あまりに手際よく、きれいにしていくものだから、私も一度試してみたくなり、手伝わせていただいた。作業の途中、清掃員の方が「後ろを見てはいけないよ。また枯れ葉が落ちて、いたちごっこだからね。」と笑いながら教えてくれました。清掃員の方も先輩からこの話を教わったそうで、学びとは受け継がれて行くものだと実感した。また、私達の大学生活は多くの人々に支えられているのだと改めて実感した。これに報いるために、この大学で学び、より上を目指し成長していこうと私は思う。
大学 4年
桜はIBUの中でも人気の名物である。そのことが題材となった話である。老夫婦は桜を見るために大学に来たのだ。しかし、まだその日には桜の木は蕾の状態で花を見物するにはまだ早かった。二人は花見を諦めようとしていた。しかし、私は7号館の隣に満開とは言わないが咲いている桜の木があったことを知っていた。話しかけることを普段なら誰かに任せていたが、その時私しかいなかったというのもあり話しかける事を決意した。入口で帰ろうとしていた老夫婦を呼び止めて奥まで歩くように促した。足が良い状態ではなかったので二人の荷物を少し持って奥まで歩いた。私も早く帰りたかったので正直老夫婦と話している時間は早く終わってほしかった。しかし、桜を見た後に「ありがとう」と言ってくれたので、その言葉だけで早く帰らなくて良かったと思った。最近は、電車のなかでは、体の不自由な人に積極的に席を譲るようにしている。知らない人でも積極的に話しかけるようになった。私もまだ優しさに関しては蕾であるが、いつか満開になる様に話す勇気と優しさを身につけていきたい。
大学 4年
朝、IBUに向かう電車の中、私は混み合う車内で座席の端に座っていました。私の横に女性が立っていて、その女性のカバンには「お腹に赤ちゃんがいます」と書かれたキーホルダーがつけられていました。私の身近な友人に妊娠中の子がいて、その大変さも感じていたので私は女性に「座ってください」と声をかけ席を譲りました。女性は「ありがとう」と言って座ってくれました。その後私は少し離れた場所に移動したのですが、女性が降りる際にも私が居る場所まで来てくれて「ありがとう」と言ってくれました。「ありがとう」の一言で私自身も凄く幸せな気持ちになりました。IBUの学園訓に「礼儀を正しくせよ」とありますが、私も普段から挨拶はきちんとしようと心がけています。
短期大学部 2年
私が1回生の時の、部活の試合の帰り道の出来事だった。試合も終わり、6人くらいでわきあいあいとしながら駅までの道のりを歩いていた。ある信号で渡り切った後に、一人の先輩が振り返って走っていった。何か忘れ物でもしたのかなと思い私も振り返ると、目の不自由な方と一緒に信号を渡ろうとしていた。私はその方がいたことにも気づかなかったのに、先輩は、周りをよく見て勇気ある行動をしたと思った。確かに今思い返すと、その先輩は普段から周りを気遣い、丁寧に接してくれる方だった。私はそれを見て、少しの勇気を出してみることで、お互いが幸せな気持ちになれると思うようになった。それまでの私は行動にすることが苦手で、後から「しとけばよかった。」と後悔することが何回もあった。それは人の目を気にしたり、恥ずかしさがあったりなどで、勇気が出なかったからだ。しかし今は、小さなことでも自分で行動するように心がけている。これは私がたまたま経験しただけであって、先輩から言葉で教わったことではない。先輩からすると、覚えていないほど大したことではなかったかもしれない。しかしこの出来事は私にとっては大きいことだった。私は先輩のおかげで変わることができた。そして、今の私を見た誰かが自分のことを客観的に見つめ直して、良い方向に変わることができるような、良い循環ができればいいなと思っている。
大学 3年
数か月前、テーマパークへ電車で向かっている時、急に信号のトラブルが起こってしまい、運転見合わせになってしまいました。電車の中では放送が流れ、しばらく運転の目処が立たないとのことが日本語のみで流れていました。しかし、私の隣に座っているのは同世代くらいの韓国人の女性の二人組でした。その人たちは放送の意味が分からず、戸惑っている様子でした。私は普段から人見知りで、しかも友達とは現地集合ということもあり電車の中では一人でした。しかしもし私が海外で同じような状況に遭ったら不安で怖いだろうなと思い、普段は勇気が出ず自分から話しかけることはないのですが、スマホの翻訳機能で今の状況を韓国語に訳し、横に座っている女性に話しかけ、スマホの画面を見せました。すると、ようやく今の状況を把握できた様子で「ありがとう」と笑顔でお礼を言われ、その二人組は電車を降りていきました。結局それからも電車は動かずにその日のテーマパークへ行く約束はなくなってしまい、天王寺で遊ぶことになりました。勇気を出して話しかけることでこんなにも感謝してもらい、こんなにもいい気分になることを知ることができ、とても心に残る一日になりました。これからは、困っている人がいれば頑張って自分から話しかけられるように人見知りも克服していきたいと思いました。
短期大学部 2年
私は去年の5月頃から、学校実地演習で中学校に行っていました。その時期は修学旅行や校外学習などの行事と重なっており、授業面でお手伝いすることが少なく、先生方は私に何をしてもらうか困っていました。すると、ある先生がトイレの掃除をされているのを見かけました。それを見た私は、いつもお世話になっている学校に何か奉仕活動ができないかと考え、掃除好きという自分の性格をここで活用したらいいのではないかと思いました。生徒さんに、もっと楽しく、健康的に、いい環境で学んで欲しいと思うようになり、ならば普段は掃除できない廊下などを掃除したら喜んでもらえると考えました。先生方は、申し訳ないとおっしゃいましたが、いつもの恩返しができればと思い、掃除をさせてもらいました。廊下は私が思っているよりも汚れており、さらに掃除をする範囲が広かったりしたために、掃除し終わるまでに3時間ほどかかりました。しかし、その間には一緒に掃除をしてくださった先生から普段は聞けないこと、学校の中で不安に思っていたことなどの深い話を自然と話すことができ、先生という存在を身近に感じられる素敵な時間となりました。終わってから廊下を見てみると、見違えるほどに美しくとてもいい気分でした。これからも利他の精神を持ち、誰かのために何かをし続けたいと思いました。
大学 3年
大学生活に慣れた頃、帰宅途中の電車の中で困っている様子のおばあさんがいました。「大丈夫ですか?」と自分が困った経験があるからこそ相手も困っているのではないかと思い、声掛けをしました。もしかしたら、私の勘違いかもしれないと思うと声掛けに少しだけ時間がかかりました。日頃は、様子を見て声掛けするか時間をかけて吟味してしまします。何度かタイミングを逃して声掛けできなかったことがあったからこそ今回はすぐに行動に移すことができました。行きたい駅に着くかどうか不安だったため声を掛けてくれて良かったと言っていただきました。おばあさんが降りる駅に着いて一安心だと思っていましたが、降りる時に足をひきずって歩いているのを見て改札まで送ることにしました。改札に着くと重ね重ね「ありがとう」と言ってもらい嬉しかったです。今まで「大丈夫ですか?」と声掛けしても心無い言葉を浴びせられることがありました。あまり良いことが無かったからこそ、こんなに優しい「ありがとう」と感謝の言葉をもらえるなど到底思ってなかったので嬉しかったです。感謝の言葉だけでなくキャンディーも貰い、私にとってはほっこりする出来事でした。今まで周りの人に助けてもらった恩返しのために行動していたので報われて良かったと共にこれからも声掛けを続けて行きたいです。
大学 2年
施設での実習を終えた帰り道で、不自然な歩き方をしたパジャマ姿のお年寄りを見かけました。どうされたのかな?と近寄ってみると、実習先のデイサービスで見かけたことのある利用者さんでした。「◯◯さん、実習生の□□ですけど覚えていますか?」と挨拶をしましたが、気づいてくれません。このままでは交通事故に遭う危険性もあるし「私がなんとかしないと!」と思い、「今からどこ行かれるんですか?」と声をかけると「そうやな、どこ行くんやったっけ…」と答えられたので、「私と一緒にお散歩に行きますか?」と伝えて、施設に電話しました。しばらく側にいると施設から職員さんが来られて、無事に自宅に向かわれました。実習での短い関わりではわかりませんでしたが、もしかしたら「徘徊」されていたのでは無いかと思います。翌日、職員さんから「よく気づいてくれたね、ありがとう」と感謝されました。実習で一番難しかったのも、利用者さんへの声かけでした。一方的に質問したり、指示、命令調は相手を不快にさせると授業で習いました。今回は、それを生かすことで、役に立てたのかなと思います。これからも利用者さんのちょっとした変化に気づけて寄り添えるような介護福祉士になりたいです。
短期大学部 2年
2月下旬、私は天王寺行きの満員電車に乗っていました。天王寺駅に到着し、下車する際、一気に乗客が降りようとしたため、目の前に立っていた80歳くらいの年配の女性が電車と駅のホームの隙間に落ちて挟まってしまいました。突然の出来事で驚きましたが、それに気づかない乗客が後ろから押し寄せてくる中、私は「早く助けないと大変な事故になってしまう」と思い、即座に周囲にいた人たちに「ホームの隙間に落ちた人がいるので一緒に助けてください」と声かけ、協力を仰ぎました。そして、近くにいた男性2人と自分の3人で「いっせーのーで」と息を合わせ、その女性を助け出すことができました。その瞬間、周りから拍手が起こったのが感動的でした。また、女性が落ちてから救い出すまで10秒もかからず、ほんの一瞬の出来事だったことを覚えています。その後、女性は特にけがを負うことなく元気な様子だったので、本当に安心しました。私は人を助けることは、相手のためだけでなく、自分のためにもなると信じています。そのため、これからも助けを必要としている人がいれば、迷うことなく助けたいと思います。
大学 4年
私は高校生の頃、ランナーとして出場していた父の影響を受け、地域で行われる四万十川でのマラソン大会のボランティア活動に参加しました。その日は、午後からずっと雨が降っていて、傘やカッパで雨をしのいでいた私たちでしたが、後半になるにつれて「早く帰りたい」という気持ちが大きくなりました。制限時間を過ぎ、内心(やったー!帰れる!)と思いながら会場のスクリーンに目を向けたとき、ゴールまであともう少しというところにフラフラになりながら走ってくるおじいさんの姿が見えました。それを見た私たちは反射的に、「まだ1人おります!やけん残ります!」といって片付けたばかりのゴールテープをほどき準備しました。会場全体がおじいさんに届くように大きな声で声援を送ります。強い雨にも負けないくらいの声援の中完走したおじいさんは、フラフラになりながらも私たちに「ゴールテープきらしてくれてありがとう、本当にありがとう」と苦しそうな笑顔で言ってくれました。感謝された照れくささと最後までやりきった達成感とが重なり、心の奥から何か込み上げてくるものがありました。これは4年経った今でも鮮明に思い出すことができます。私はこの経験を通して、利他の心は自分の内から自然に湧いてくるものだと思い、将来学校現場で働く時、子どもの内に秘められた利他の心を「仏の指」のように引き出すことのできる教員になりたいと思っています。
大学 2年
ある日の帰りの電車での話。若い夫婦がベビーカーにまだ小さな子を乗せて電車に乗ってきた。よく見ると女性のお腹は少し大きくなっていて、2人目のお子さんがいるようだ。私が降りる駅でその夫婦も降りるようだったが、人混みが激しく中々降りられない様子だった。私は一言「開けてあげてください。」と言いながら、夫婦のベビーカーを降ろすのを手伝った。「ありがとうございます。」と言われた後に名前を聞かれた。何故名前を聞かれたのか不思議だったが、その夫婦は私の名前を2人目の子の名前に付けてくださるとのことだった。
この日の出来事があってから私は、より利他を意識して過ごすようになった。このエピソードの時も、もちろん手伝おうという気持ちもあったが、実は自分も早く降りたい気持ちがあった。「ベビーカーが降りるのを手伝うと、私も早く降りることができるだろう」という不純な動機もあったのである。しかし、最後に残った気持ちは「早く降りることができて良かった」という気持ちではなかった。私の心は何とも言えない温かい気持ちでいっぱいだった。この出来事のおかげで、自分の利益の為に動くよりも、誰かのために動いた方が何倍も気分がいい、という事を改めて実感した。
人文社会学部 日本学科
中学時代、職業体験の時に店長さんの言った言葉で考えや行動に影響があった。その言葉は、「今(中学時代)はしなくていい。でも、社会に出たら人が嫌がる仕事・人が嫌がる掃除等を進んでしなさい。」「そうすれば時間はかかっても、周りの人は必ず見てくれているから、いつか評価される。」と言っていた言葉に影響を受けました。
この話を信じて、今のアルバイト先では、みんながやりたがらないグリストラップ(排水が一括でたまるところ)の掃除を毎週1人でしています。それをしていると、だんだんアルバイトの仲間が「手伝おうか?」や「その掃除できないから代わりに掃除道具買ってあげるね。」などと気にかけてくれるようになりました。職場にいる主婦の方に至っては「いつも本当にありがとう。」と言ってくれるので、きちんと見て、評価してくれているんだと気づきました。
人文社会学部 国際キャリア学科
私が駅を出た時に周りをキョロキョロして困っていそうな男性を見かけました。少し勇気を出して「どうかしましたか?」と尋ねると「○○病院に行きたいけど行き方がわからない。」と言われ、私はその病院を知っていたため一緒に行き案内しました。すごく感謝され私も嬉しい気分になりました。
その数日後、高校から突然連絡が入りました。卒業したばかりの学校からの連絡に驚きましたが、内容が先日病院まで案内した男性からのお礼の手紙とお礼の品が届いているとのことでした。私は高校の自転車のシールを取り忘れていた為、そのシールをみて高校まで連絡をして下さったみたいです。
私はお礼をしてもらう為に助けたわけではありませんが、直接でも手紙でもすごく感謝されとても幸せな気持ちになりました。その方は奥さんがその病院に入院されており、初めて行く道中のことで私のことを奥さんにもお話をされたみたいです。お二人ともすごく喜んで下さり、少しの勇気でこんなにも喜んでくれる人がいるのだと気づきました。とても良いことに気づくことができよかったです。
人文社会学部 社会学科
いつも働いている書店のアルバイト先でのことです。私はいつものようにレジを担当していました。お客様の中に車椅子を動かしながら障がいのある方がレジに並んでいました。その人の順番になって、レジでお金を出そうとすると、レジのカウンターは少し高い位置にあり、車椅子からは無理をして支払いを済ませなければなりません。これはとても不便だと思いました。そこで「こちらにお金を置いていただいて…。」と、手が届きやすいところにお金を置いてもらうようにお願いしたところ、お客様がその時とお会計の後の2回「ありがとう。」とお礼を言ってくださいました。ほんの小さな思いやりから、感謝されるのは少し照れくさくも感じますが、やってよかったと思えました。
普段から私たちの暮らしの中には、多くの便利だと感じる事や物があります。でも、今回の件で、1人でも不便であると感じるのであれば、それはほんとうに便利なものと言えるのかという疑問を持ちました。わたしたちが気づかないうちに誰かにとって便利なものが、誰かにとって不便なものかもしれない。
人文社会学部 人間福祉学科 健康福祉専攻
私は毎朝、阿部野橋駅からの電車に乗って通学していて、その日はいつもより乗客が多く混んでいました。途中の駅で車椅子に乗った男性が乗ってきたのですが、いつもより混んでいる電車にイライラしている人が多かったからか、車椅子の男性が乗ってきたことに対してあからさまに嫌な態度をとる人や、「なんやねん。」と声に出して言う人などが数名いて、車内の雰囲気は一気に悪くなりました。
私は、「なんで車椅子の男性が悪いみたいになってるのだろう」と、とても悲しい気持ちになったのですが、それ以上に車椅子の男性は悲しそうで、涙を拭っているのが私にはわかりました。それを見た瞬間、「なんとかしたい」と私は思ったのですが、知らない人に話しかけるのが得意ではない私にとって行動を起こすのはとても難しいことで、何も出来ないまま私の降りる駅につきました。「悔しい」そう思った私はとっさに、車椅子の男性にニコッと微笑み会釈をしました。すると男性はとても嬉しそうに涙を流しながら小さな声で「ありがとう。」と言ってくださいました。
もっと早く男性にかけよって、声をかければよかったかもしれないと後悔は残りますが、あの時の私にはこれが精一杯でした。それでも「ありがとう。」と言ってくださった男性の優しさに触れた私は、これからも人の役に立ちたいと心から思うようになりました。
教育学部 教育学科 小学校教育コース
私はカフェで働いているのですが、長時間働いているとすごく疲れて笑顔もなかなか出せなくなってしまいます。ある日、いつも通り注文をとりに行くと、お客さんが「ありがとう。」「お願いします。」と言ってくださり、注文されたものを運ぶとまた「ありがとう。」と笑顔で言ってくださりました。お客さんだからしてもらってあたりまえだと思う方も多いと思いますが、その方は常に感謝の気持ちを伝えてくださって、とても嬉しく思いました。
その方はあたりまえのように感謝の気持ちを伝えていて、とても素晴らしいなと思いました。特にお客さんと店員のような関係だと、これから先、また会う可能性は低いからこそ、思ったことや感謝の気持ちはきちんと相手に伝えたほうがいいなと思いました。そして、誰かに何かをしてもらえることはあたりまえだと思わずに、これからはきちんと感謝の気持ちを伝えていこうと思います。
教育学部 教育学科 幼児教育保育コース
私には大切にしていた祖父がいました。祖父は優しく、決して人の事を悪く言わず、何事もプラスで考える人でした。そんな祖父が病気で足を切りました。普段の生活が全くできなくなり、祖父は苦しんでいました。祖父と車いすでスーパーに行ったとき私は周りの冷たい視線に心がやられました。「どうしてだろう」ただそう思うばかりでした。差別である冷たい視線。自分自身もわからないうちに冷たい視線を送っているのかもしれない。だからこそ自分自身も変わっていこうと思った。
車いすに祖父が乗るなんて誰もそんな事を想像していなかった。車いすのなかでも懸命にがんばる姿の祖父をみてもっと誰もが生きやすい差別のない社会になればと本当に心から思えました。冷たい視線って感じるんだ。暖かい気持ちを持ち、接することの大切さを心から感じました。祖父は買い物に行きたくても行きたいとは言わず我慢して外ばかり眺めていました。祖父はどこかで私に遠慮していたのでしょう。私はあの時の冷たい視線を感じ、でも、「もう外に祖父と出ない」そんな感情は一切出ませんでした。ただ祖父が楽しんでくれたらそれでいいと思いました。他人の目線よりもっともっと大切なものは家族を大切にすることだと心から思いました。
ありがとうの祖父の言葉にはたくさんの思いが込められていて、いつもいつも私は祖父の言葉に励まされました。懸命に生きる姿、ありがとうと当たり前に言える祖父、そんな祖父を私は心から尊敬します。
教育学部 教育学科 中高英語教育コース
私は夏休みに体調を崩しました。何度か通院するために、電車に乗らなければなりませんでした。その日も朝から体調が優れなかったけれど、予約をしていたので無理をして外出しました。
電車に乗ったらすぐしんどくなってきて、立っているのもやっとでした。しかし、大阪駅へ向かう混雑した車内では席は空いていません。そんな時、見知らぬ年配の女性が声をかけて席を譲ってくださいました。その方は、乗っている間、「水飲みますか?」「さむくないですか?」などと尋ねながら背中をさすってくれました。それだけでなく、電車から降りた後もその方も初めての大阪駅だったのに、トイレを一生懸命探して連れて行ってくれました。私は、この方の行いから、人のあたたかさを知りました。私自身も、きちんと感謝を伝えることができたので、学園訓の実践ができたと思います。建前の気遣いではなく、心の奥底からの親切を受けられることは、一生であまりない体験だと思うので、本当に良かったです。
この体験をしたことで、優しくされた側の嬉しさを知ることができました。された側の気持ちを知ることができ、より一層他者に親切にするべきだと気づきました。
教育学部 教育学科 保健教育コース
私がアルバイト先から自転車で帰っている時、見知らぬお爺さんが道端で突然倒れました。私はすぐに駆けつけたのですが、お爺さんは手にスーパー袋を2袋も持っていて、私一人ではどうしても起こすことができず、さらに夜道で人通りも少なかったのでどうしようかと困ってしまっていた時に、近くに停車していた宅配便の車から、私たちに気づいたお兄さんが「大丈夫、どうしましたか?」とすぐに助けに来てくれました。
そのお兄さんがおじいさんに尋ねたところ、一人暮らしで、お家はすぐ近くのアパートだと分かりました。しかし、そこは踏み切りを渡らないといけなくて、このままお爺さん一人で帰るのはとても危険だと思った私たちは、歩いてお爺さんをお家まで送ることにしました。アパートにはエレベーターもなく、お部屋までたどり着くのに結構時間がかかりました。その途中で、お爺さんはとても申し訳なさそうに「もう遅いし、あんただけでも帰っていいよ。」と、何度か私に声をかけてくれました。何とか無事に、二人でお家まで送り届けると、お爺さんは何度も「ありがとうな、ほんまにありがとうな!」と、とても感謝してくれたので、私はつくづく助けてよかったなと思いました。
もちろん、私一人ではここまではできなかったし、あの時きっと仕事中だったのにすぐに私たちに気づいて駆けつけてくれたお兄さんの優しさや気遣いに、私自身もとても感動しました。私もこんな優しい大人になりたいと、心から思うことができました。
経営学部 経営学科
わたしには4歳年上のお姉ちゃんがいます。私のお姉ちゃんはもうすぐ就職のため実家を離れ、一人暮らしをはじめます。そんなお姉ちゃんに親のありがたさについて話をされ、お姉ちゃんはお父さんお母さんが楽になるよう家事を手伝い、たまには娯楽をできるよう機会をつくってあげていることに気づきました。そこからわたしも、さらにわたしの3歳年下の妹も家事を手伝うようになり、今では姉妹3人で家事を分担しています。
お父さん、お母さん、親にはたくさんの迷惑、心配をかけて世話をしていただきました。しかし、わたしももう19歳です。親の恩に気づき、返すべきであるということに気づきました。日々、当たり前になってしまっていることも多くあります。きちんと言葉や形でこれまでの恩をきちんと返せるような行動をしたいと思います。
看護学部 看護学科
電車に乗っているとき、空き缶がカラカラ音を鳴らしながら車両内を転がっていた。みんな音のする方を見ていたが、それが空き缶の音だと分かると無視をしたり近づかないように離れた所に移動したりしていた。私もその空き缶を見たが、多くの人の視線が集まっているその空き缶に近づくこことはできなかった。
しかし、同じ車両の端っこに乗っていたある男の人が、わざわざその空き缶を取るために移動し、駅に着いた時にゴミ箱に捨てているのを見た。私はその男の人の行動を見て、とてもかっこいいと思った。その場にいるほとんどの人が、空き缶を見て嫌な気持ちを抱いていたと思う。でも、それを自分がどうにかしようと思えることは凄いと思うし、それを行動に移せることはとても勇気がいると思う。
何か気になったことがあったとき、自分が無視をすると、その後誰かが動かなければいけなくなると分かった。それなら、気づいた時に自ら動くほうが周りの人も助かるし、自分も気持ちがいいことに気が付いたので、これからはそうしていきたい。
短期大学部 保育科
私がアルバイトを始めてから、約3年が経過しています。いま振り返ってみると、アルバイトで稼いだお金を、プライベートで遊びに行く時や趣味のためにも使ってしまうので、一向に貯蓄額が増えていきません。こんなとき「お金を稼ぐことは本当に大変だ」と、改めて思い知らされます。
こうしていくら私が頑張ってみても、大学の学費を払えるほどのお金は今現在持っていませんし、それだけではなく通学の交通費なども必要になります。それにもかかわらず、「お金のことは気にしなくていいよ。」と一生懸命貯めたお金を使わせてくれる父。そして、私の通学の時間に合わせて毎朝早く起きてくれ、アルバイト後の夕食も遅い時間になって寝るのも遅くなるのに、時間を調整して合わせてくれる母に対しても、本当にありがたいと思っています。
今まで支えてくれた父母、これからも応援し続けてくれる父母には感謝をしてもしきれません。やがて社会人になって自立したとき、これまで私がもらった分を今度は返していく番です。
学園訓である「父母の恩」とは、私にとってまさにそのことで、忘れてはいけないことだと強く思っています。
短期大学部 生活ナビゲーション学科 ライフデザイン専攻
学校の周辺を友達と一緒に歩いていた時のことです。何かはっきりとは覚えていないのですが、落ち葉などではなくお菓子のごみのようなものが落ちていました。その時に一緒に歩いていた友達が「なんでも拾ってしまうわ~。」と言いながら、そのごみを拾ってごみ箱に捨てました。
今思い返すと、その友達はこのような事を、この時だけでなく当たり前のようにたばこの吸い殻やプリントなどを拾ってはごみ箱に捨てていることに気がつきました。誰も気にとめず通り過ぎていくような事であり、私自身も全く気づかず通り過ぎていました。褒められる訳でも、感謝される訳でもありません。でも誰も見ていない所で、自然にこのような事ができる友達が凄いと思いました。
それから私も少し勇気を出して駐輪場で自転車が倒れていたら、直したりするように心がけています。小さな事かもしれませんが、このように一人ひとりの小さな気づかい行動で気持ち良く生活ができる社会になっていくのではないかと思いました。そして、介護福祉士をめざして学んでいる私にとってとても大切な事ではないかと考えました。
短期大学部 生活ナビゲーション学科 ライフケア専攻
ある日、私がアルバイトでレジ打ちをしているときに車椅子のお客様がレジに並ばれました。レジの通路の間は非常に狭く、車椅子で通るには困難だと私は思い、すぐにお客様から一番近いレジに移動し、そこでお会計をしました。また、レジは車椅子のお客様から見れば少し高い位置にあるので、商品を渡す時はレジを出てお客様に直接手渡しをさせてもらいました。 私自身は、接客として当たり前のことをしただけだと思っていましたが、そのお客様は、アンケートで私の名前を挙げてくれました。アンケートには「本当に優しく対応してくれた。車椅子での買い物は大変だけど、この店にはまた来たいと思います。ありがとうございました。」と書いてくださっていました。さらに後日、そのお客様は再度来店して、わざわざ私を見つけて直接感謝を述べてくださり、本当に自分のとった行動を誇らしく思うことができました。
行動を起こした際、お客様にとってはかえってありがた迷惑ではないだろうかと一瞬頭によぎっていたのですが、勇気を持って相手のためを思って行動することができて、本当に良かったと思います。これからも学園訓である誠実さを持ち、真心で行動していきたいと思います。
人文社会学部 日本学科
この日は、梅田駅から私の友人の最寄駅に行くバスに乗っていました。初めて乗るバスだったのですが、クリスマスシーズンだったからか紙袋を持った人で満員でした。優先座席には、サラリーマンの方や買い物帰りのような若い人たちが座っていて、荷物を両手に持ち立っているお年寄りの方に気づいていませんでした。私は、こういう場面に遭遇したら席を譲りたいと思っていたのですが、いつも変にためらってしまい、何もできずにいつも後悔していました。
しかし、本学に入学してからその思いが強くなり、この日は思い切って声を出し、席を譲ることができました。たくさん人がいる中で声を出すことは非常に勇気がいりましたが、お年寄りの方が笑顔で「ありがとう。」と言ってくれたので、数分前までの緊張は消え、非常に嬉しい気持ちになりました。
この経験から、誰かの役に立つことは、時には勇気がいりますが、相手の方だけでなく自分も良い気分になるということに気づきました。そして、いつもためらっていた自分でも、やればできると自信になりました。これからも公共交通機関を利用する機会は多いので、またこういった場面に遭遇したら、次はためらわず率先して席を譲ることができる気がします。
人文社会学部 国際キャリア学科
アルバイト先でのエピソードです。
フィットネスジムのインストラクターのアルバイトでは、お客様と接する場面がとても多く、トレーニングが終わると必ずお客様と会話をします。最近は、新型コロナウイルスのニュースが多いため、それに関連した会話になることがよくあります。その時のお客様の表情は決して良いものではありません。私は、お客様に笑顔で帰っていただきたいので、なるべく明るい話をするように心がけています。例えば、私の成人式の前撮りのことをお話ししたり、その写真をお見せしたりすると、「楽しい話が聞けてうれしいわ」とみなさんとても喜んでくださり、楽しく会話をしてくださいます。私自身もすごく嬉しくなります。
心がけひとつで、人を明るく楽しくさせ、心に花を咲かせることができると改めて感じました。
暗い世の中だからこそ、明るい会話や楽しい会話を楽しみにする人が多いように思います。これからもまわりの人を笑顔にできるよう、頑張っていきたいです。
人文社会学部 社会学科
私が自分の働くレンタルビデオ店でいつものようにレジをしていたとき、ひとりの男性がやってきた。わたしはいつものように挨拶をして、商品を受け取り、カードの提示をお願いしたところ、何やら聞こえていなかったようで、もう一度声をかけた。すると、男性はこちらに気づき、手話で(もしかすると私に分かりやすいように、ただの身振りをしただけかもしれない)自分は耳が聞こえないことを私に教えてくれた。私は自分が福祉科の学生であるにも関わらず、何も分からなかったことに少し情けなさを感じたが、男性の笑顔でそのことを教えてくれた姿を見て、申し訳ないということを身振りと同じように少し悔しさが混じった笑顔で男性に伝えた。
そのあとはスムーズに会計が進み、会計が終わると、男性は笑顔で手話の「ありがとう」をして帰っていかれた。私は清々しさとその中に少しの悔しさを感じた。
まず、実際にいきなり障がいを持った方にあっても、見ただけではわからないことがあることを身をもって体験した。
また、障がいを持った方に対して、常に自分から色々と働きかけ、助けてあげるものだと思っていた。 しかし、この男性との出会いを通し、自分が思っている以上に私たちと障がい者は対等にあるべきで、私たちがさまざまな援助を行い、そして障がい者の方も私たちに大切なことを教えてくれる、そんな関係であることが必要なのかもしれないと感じた。
人文社会学部 人間福祉学科 健康福祉専攻
「ありがとう」という言葉を私達は1日のうちに何回伝えられているでしょうか。大学生になるにあたって、自分の行動に責任を持つことを意識するようになった私は、この1年小さなことでもやってもらえて当たり前だと思わず、常に感謝を忘れないことを目標にして生活してきました。感謝を忘れないことは一見当たり前のように感じられるかもしれません。ですが、その当たり前の行動を当たり前に実行出来ている人はそれほど多くはないのではないかと感じます。
友達が先生に提出するプリントを自分の分と一緒に持って行ってくれたときや食堂で私の席を空けておいてくれたとき、車で送り迎えをしてくれたときなど、ついつい感謝の言葉を忘れてしまいそうな小さな場面でも意識して「ありがとう」という言葉をかけることで周りにいる人の大切さやしてもらっていることのありがたさを改めて感じ、私は周りの人に恵まれて生活できていることを実感することができました。「ありがとう」という言葉は言った人も言われた人も気持ちの良い言葉です。「ありがとう」と言われると嬉しい気持ちになるので、なにかしてあげたいという気持ちになり、それがまた「ありがとう」を生み、繋がっていくことから私は「ありがとう」と伝えることは幸せの連鎖に繋がっていくと感じました。私はこの幸せの連鎖を止めないように、また誰かの幸せを新たに作っていくことができるように、これからも「ありがとう」を伝えていきたいです。
教育学部 教育学科 小学校教育コース
私には2歳年上の姉がいます。姉はとても温厚な性格で、わがままな私にも優しく、たくさんの愛をもらって私は育ちました。
大学進学のために東京に出た姉が帰省した際に、姉の行動の一つ一つに優しさが詰まっていることに気がつきました。例えば、ご飯をレンジで温めるときはまず中学一年生の妹の分、次に私の分、そして母の分、一番最後に姉自身の分を温めていました。しかもそれを、見返りを求めずに当たり前にこなしてしまうのです。
確かに大人としては当たり前にすべきことなのかもしれませんが、私なら、本音を言える家族の前では「ありがとう」の言葉が聞きたくてアピールしてしまうだろうと思い、見返りを求めない行動の温かさを感じ、それと同時にそれはとても難しいことだと思いました。
私が「ありがとう」と言うと、姉は照れくさそうに「こんくらい当たり前やわ。」と言います。私も姉のように無償の愛を注げる人になりたいと思います。
教育学部 教育学科 幼児教育保育コース
先日、大学から家に帰る途中、JR天王寺駅で電車を乗り換えるときに、周りをきょろきょろ見回してい る人がいました。その人は何度も携帯電話を見たり電光掲示板を見たりしていたので乗り換えに困っているのかなと思い、ちょっと迷いましたが思い切って声をかけました。その人は中国か韓国から来ている人のようで、私の日本語が全部は分からないようでした。また話す時も単語を並べるだけだったのですが、見せてくれた携帯電話に「大阪」という文字が見えたので、大阪に行きたいのだということが分かりました。
日本語では説明しても分かりにくいかなと思い、乗り換えのホームまで一緒にいきました。電車が来るのを一緒に待っているときに「ありがとうございます。」と何度も言ってくれました。その時に「声をかけてよかったな」と思いました。思い切って行動すると、何か他人の役に立てることがあるんだなと思いました。これからも困っている人を見かけたら、進んで声をかけようと思います。
教育学部 教育学科 中高英語教育コース
この日は、お昼ご飯を食べるために車で出かけました。母が運転をしていたのですが、反対側の歩道にシルバーカーを押したおばあさんが買い物を終えて歩いていました。車の中で信号待ちをしていた時、そのおばあさんの買い物袋から、商品が1つ落ちてしまったのです。おばあさんはその事に気づいていません。周りの人も拾ってあげることをせず、無視です。私は、「あ! 大変」と、とっさに体が動き、母に言って車から降り、反対側の歩道へ走っていき、落ちた商品を拾っておばあさんに届けました。すると、おばあさんは笑顔で「あら、ごめんねー。わざわざありがとう。」と言って、買ったばかりのリンゴを1つ私にくれました。袋をしっかりと固定してあげた後、そのままおばあさんはシルバーカーを押しながら、家まで帰っていきました。
高齢者の方の中には、シルバーカーや杖などを使っている人も多く、足腰を痛めている人もいらっしゃるため、しゃがむことが困難な人が多いと言われています。物が落ちてしまっても耳が遠くなっていると気づかないこともあります。周りにいる人が、その事を理解して高齢者の方に優しく接することで、高齢者の方も生きやすい世の中になるのではないかなと思いました。
私は今回の経験から、商品を拾って届けてあげることで、おばあさんに「笑顔」が増えることに気づき、その「笑顔」がおばあさんの毎日の幸せな出来事に繋がっていることを感じました。人間の親切な優しい心は相手を幸せにするということに強く気づかされました。
教育学部 教育学科 保健教育コース
私の家族は父と母、そして4人兄弟の6人家族です。両親は共働きで、父はいつも朝早くから仕事に行き、母は仕事をしながらも全ての家事をしていました。コロナ禍でも、父と母はいつもと同じように仕事をし、母は全ての家事をしていたにも関わらず、私はほとんどの時間を家で、ダラダラと過ごしていました。
そんな生活が半年以上過ぎた頃、母が仕事と家事の疲れから体調を崩し、年末を前に倒れてしまいました。幸い命に別状はありませんでしたが、母をここまで追い込んだのは私ではないかと思いました。母は仕事と家事をこなし、毎日家族のために働いているのに、私は何もせずにダラダラと過ごして、今思えば本当にひどかったと思います。母が倒れ、こんなことが2度とないように、子どもの私たちにできることは自分でやり、母の負担を減らすために家事を手伝うようになりました。
家事をして、初めて、こんなにやることの多い家事を毎日やっている母はとてもすごいと思いました。手伝うといってもそんなに大したことはできていないのに、母は「ありがとう。」と言ってくれます。本当は私たちが毎日「ありがとう。」と言わなければならないはずです。それなのに私たちに感謝してくれる寛大な母を尊敬します。
母は偉大。これからも家事の手伝いを続けていきたいと思いました。みんなも親を大切にして、助けることができる人になって欲しいと思います。
経営学部 経営学科
ある日、私は祖母の家を訪ねたが祖母が留守であったため、帰ろうとした時、祖母の隣人で尿道カテーテルを使用している80代の男性から声をかけられた。その男性は、いつもなら採尿バックに尿が溜まっていても良い頃だが、今日はずっとバックが空のままで不安なため、かかりつけの病院に行きたいとのことだった。
話を聞いていくうちに男性は難聴と認知症のようで、病院の名前や自分の名前が分からなかったり、会話のかみ合わないところが多々あった。そこで、私は看護実習で学んだコミュニケーションの方法を思い出しながら、その男性と会話を続け、彼のかかりつけの病院へと連絡し、送迎サービスに迎えに来てもらうことができた。
男性にはとても感謝された。始めのうちは男性の言っていることがよくわからず、適当な理由をつけてそこから逃げ出そうかと思ったが、自分が看護に携わるものであるという責任と自覚を持たなければならないと思いとどまり、利他の精神で接することができたと思う。男性や、病院の方に感謝されたとき、自分に誇りが持てたように感じたと同時に、より多くの困っている人を助けたいと思うようになった。
看護学部 看護学科
私は、飲食店でアルバイトをしています。ある日20代ぐらいのお母さんが2人の子どもを連れて食べに来ました。子どもの1人はまだ乳児で、料理を提供する前に泣き出してしまいました。もう1人の子は3歳ぐらいでした。下の子の泣き声につられたのか、何か悲しくなったのか、上の子も泣き出してしまい、お母さんはとても困った表情で泣き止んでもらおうと必死でした。
お子様セットを頼まれていて、 そのセットにはお会計時におもちゃをお渡しする制度がありました。私は何か出来ることはないか考え、「先におもちゃをお渡ししましょうか?」とお母さんに聞いたところ、お願いしますとのことだったので、上の子におもちゃをお渡ししました。それから泣き止んでくれて、提供されたご飯を美味しそうに食べていました。
たまたま泣き止んでくれただけかもしません。しかし何か自分にできることがあるのなら誠実心を大切に行動しようと感じました。
短期大学部 保育科
私は、食品を中心としたスーパーマーケットでアルバイトをしています。ある時、1人で押し車を押したおばあちゃんが買い物に来ました。そのお客様は身体の具合が悪いようで、とてもしんどそうに歩いていました。私が駆け寄って聞くと「ヘルニアで腰が悪い」と言います。私は「和の精神」の授業で学んだ「利他の心」をとっさに思い出し、お客様が買いたいものを聞いてその押し車に入れ、その流れでレジ打ちから袋詰め、そしてそのお客様の押し車から落ちないようにガムテープで固定などをしていました。
この対応はスーパーのマニュアルにもないことで、私は大学で「和の精神」を学び、自然と体が動いて結果的にお客様を助ける行動をしたのですが、そのことでお客様が涙を流して「助かったよ、ありがとう。」と、おっしゃったときに「この授業を受けることができて本当に良かった」と感じました。そして 「助かったよ、ありがとう。」など言われて人の為になることをしたら、自分も「助けられて良かった」 と思いました。
困った人を助けることは当たり前ですが、それができるのはとても良いことだと思いました。人を思いやるのは大切だということが学べ、そしてこのように、自分自身もすがすがしい気分になれ、心も穏やかになれることに気づきました。
短期大学部 生活ナビゲーション学科 ライフデザイン専攻
ある日、登校しようと家を出ると、白杖(はくじょう)を持った視覚障害の方が車道の真ん中で立ち往生されていた。車道側の信号が青になりかけており、私の隣にいた女性が「危ないよ!」と声をかけられたが、その方はキョロキョロとして戸惑っている様子だった。このままでは車が来てしまうと思い、その方の所へ駆け寄り「ここは車道です。一緒に歩道まで行きましょう」と声をかけて誘導した。歩道につくとすぐに「今日は日当たりが良くて地面の白い線が見えなかったんですよ。」と言われた。白杖を持っておられたので、てっきり全く見えない方だと思っていたが、少しは視力がある方なのだと気づいた。そして、駅まで行かれるということだったので一緒に歩こうと、白杖側に立ってサポートしようとすると、反対側にきてほしいと言われた。そこで、「白杖側から介助すると、ご本人が白杖を使えない」ということ に気付かされ、自分のうっかりに反省した。駅に着き「ありがとうございました。」と言われたが、こちらこそとお礼を言い見送った。
この体験を通して、視覚障害者の方の歩行を手助けしたつもりが、白杖の使い方や歩行介助について、また、自分の思い込みに気付くことができた。
短期大学部 生活ナビゲーション学科 ライフケア専攻