見えないものが見えたか?!――日本文化ゼミの実地見学



晴天に恵まれたとはいえ、少々暑すぎた5月の末の日曜日、日本文化ゼミでは、住吉大社と堺市北部での実地見学を行いました。

午前中は、住吉大社の境内を巡ります。

 

 

そういえば、「一寸法師」のお話にも、住吉大社が登場するのでした。そして、「浦島太郎」のふるさとも住吉の浜だったという伝承もあるのです。住吉の浜と言われても、このあたり、海からかなりはなれているのですが……。

 

実は、この実地見学の目的には、住吉大社について知ることだけでなく、古代から近世までの住吉大社周辺の地形を知ることつまり、この場所が、かつて海辺であったことを実地での体験を通じて理解しようということも含まれています

ですから、古代の海岸線はどうなっていたのかを実感するために、あちらこちらを歩き回ります。たとえば、住吉大社の境内摂社の一つである大海神社では、境内の西側の鳥居周辺の地形を確認し、社殿から鳥居までの傾斜を下まで下り、鳥居のある場所から見上げた高さを確認します

 

 

さらに、住吉大社の境内を離れ、その北側にある生根神社の境内まで西側の地形を確認つつ歩きました。生根神社の西側も、傾斜地であることを確認します。

そして、再び、住吉大社の境内に戻り、このあたりの地形にそって坂を上り下りした体験を踏まえ、住吉大社に到着して最初に目にした太鼓橋がかかる池を、もう一度確認します……。

 

ここが古代のラグーン(海の浅瀬の入り江)の名残りの地形ということが納得できる……かな?

さらに、住吉大社の境内の外に出て、境外摂社浅澤神社から大歳神社まで歩き、その途中にある細井川周辺の地形も確認します。

 

前回のゼミで確認した住吉大社周辺の古代の地形図を、今、目の前に見える景観に重ねて、脳内VRで古代の住吉大社周辺の景観を再現できましたか?

午後は、「チンチン電車」に乗って堺市北部に移動し、堺市町屋歴史館を巡ります。

中世と近世ではその姿を変えてはいるものの、いずれの時代においても環濠都市として発展した堺のまち。しかし、その環濠そのものは、現代ではほとんど残っていません。実地見学の午後の部は、かつての環濠の水が流れていた場所が、今はどうなっているのかを確認しつつ、鉄砲生産地としても栄えた堺市北部の江戸時代の町屋を見学しました。

こんな場所に、そのような伝統的な建造物が残っているの?と疑問に思うような街並みが続きます。

 

そうした場所を歩きながら、文化財としての建造物の保存の難しさと、しかし、伝統的な景観が、完全に失われてしまったらどうなるのだろうかということを、実際に町を歩きながら考えます。そして、ボランティアガイドさんに丁寧な説明を受けながら、江戸時代の寺子屋であった清学院と、庄屋の居宅であった山口家住宅を見学しました。

今、見えていることの背景にあったはずなのに、もはや見えなくなっているものを見る目を養うことの大切さを知るというのが、日本文化ゼミの基本テーマです。

実地見学で、事前学習で学んだことを、現地の実際の風景や場面に当てはめて、今は見えない世界を頭の中で復元する試みをやってみようということだったのですが、それは、なかなか大変なようでした。

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