平安文学ゼミが『源氏物語』ゆかりの宇治めぐり



〈宇治探訪の目的〉

平安文学ゼミでは、宇治を探訪しました。宇治は平安京から南東の方角に十数キロ、平安時代は別荘地でした。『源氏物語』宇治十帖に二つの別荘が出てきます。

八宮の山荘……八宮(はちのみや)は光源氏の弟。風情あるささやかな山荘。妻を亡くした八宮が、都の邸宅まで火事で失い、娘の大君・中君(おおいぎみ・なかのきみ)とわび住まいする。世界遺産「宇治上神社」がモデル。

夕霧の別荘……夕霧は光源氏の息子で右大臣。広くて立派な別荘。世界遺産「平等院」の地がモデル。紫式部の頃は藤原道長の別荘。相続した息子頼通(よりみち)が「平等院」にした。

この二つのモデルの地を訪れるのが、今回の学外活動の目的です。

〈江戸時代の禅寺との違い〉

宇治を訪れる前に、萬福寺(まんぷくじ。江戸初期創建)を訪れました禅宗・黄檗宗(おうばくしゅう)のお寺で、中国明朝時代の様式を色濃く残します。一方、この後訪れる平等院鳳凰堂は華やかで極楽浄土をイメージしています。禅宗のお寺との違いをまえもって確かめます。普茶料理で腹ごしらえもしました

※普茶料理(ふちゃりょうり)……江戸初期に中国から伝わった精進料理。

〈八宮の山荘のモデル「宇治上(うじがみ)神社」と宇治川〉

「宇治上神社」は平安時代後期に建てられました。格子など、建物のあちこちに寝殿造りと似た造りがあり、勉強になります。

宇治川もじっくり眺めます。『源氏物語』では、八宮の山荘に住む浮舟(うきふね)が、薫と匂宮(におうのみや)の板挟みになり、入水自殺を決意します。山荘にまでおそろしげに響いてくる川音に、浮舟はおののくのですが、近くで見ても水の流れが速くて深そうです。浮舟の悲壮な決意に思いを馳せます。ただし、浮舟は結局入水しませんから、ご安心を。

〈夕霧の別荘のモデル「平等院」〉

宇治川を渡ると対岸に「平等院」があります。今はお寺になっていますが、紫式部の頃は藤原道長の別荘でした。『源氏物語』では、夕霧の別荘で匂宮とお供の公達が管弦を楽しんでいると、対岸の八宮の山荘にまで聞こえてくる、と描かれます。平安時代は今と違って静かだったはずです。「宇治上神社」と「平等院」の距離ならば、川を渡って楽の音が届いたことでしょう。二つのモデルの地の地理感覚を確かめることができました。お約束で、10円玉の表に刻まれた「平等院」とも見比べました。

ちょうど紅葉の季節で、美しい風景とともに平安時代の雰囲気を堪能できました。『源氏物語』はフィクションですが、紫式部が実際の地理をいかにうまく取り込んだかを確認し、物語の奥深さを改めて認識した一日でした。

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