大阪港巡検――港の倉庫街はなぜ、そしてどのように観光地となったのか



日本学科の観光学ゼミ(森嶋ゼミ)では、大学近辺の各地を実地調査し、地域の観光の現状と課題について皆で考えていきます
 
今年は6月11日に、港湾地区が観光地区へ再開発された大阪港を巡りました。地下鉄中央線大阪港駅のある島は、第二次世界大戦前、港湾として開発され発展しました。戦後、埋立地がさらに海側に拡大し、そちらに最新の港湾施設が建設されたため、この地区の港湾機能の重要性は低下し、港湾施設の建物は取り壊され、観光施設が立ち並ぶようになりました。
 
まずは、大阪港のルーツである天保山に登ります
 
 
江戸時代、安治川の開削によって堆積した土砂を出船、入船の目印として海上に積み上げたのが天保山です。これを拡大させる形で近代大阪港が形成されました。
 
現在は「日本一低い山」として話題になっています。せっかくですから皆で「登山」し、記念撮影をしました
 
 
天保山には渡船場があり、対岸のユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)の近くまで渡し船で往復できます。USJの外国人従業員なども移動に利用しています(下の写真は下見時のもの)。
 
 
渡し船にて向こう岸まで渡ったあと、再び渡し船に乗って戻ってから(渡し船は「道路」扱いなので乗船無料!)、再開発された地区へ移動します。このあたりは天保山マーケットプレースという商業施設に隣接し、海遊館や大阪文化館、大観覧車といった娯楽・文化施設が立ち並んでいる一方で、客船ターミナルや埠頭といった港湾施設も隣接しており、地域の役割の変化がよくわかる地区です。大阪関西万博2025の会場となる予定の夢洲も沖に見えます。
 
 
さらに島内をめぐり、「天満屋ビル」の概観を観察します。1936年に建築されたオフィスビルで、近年注目される「近代化遺産」の一種です。現在はカフェが中に入り観光資源となっている一方で、入口の位置がこの地域における地盤沈下との戦いの歴史を物語ります。
 
 
さらに島を半周し、最後にジーライオンミュージアムに入館します。ここは元々、港湾に付属していた赤レンガ倉庫でしたが、これをクラシックカーの博物館に用途転換したものです
 
 
学生は博物館を見学しながら、なぜこの場所にこのような博物館ができたのか、考察します。
 
これで島を一周し、実地調査は無事に終わりました
 
大阪港駅周辺には今回見た海遊館やジーライオンミュージアムなど多数の観光施設が林立し、数多くの観光客が訪れます。こうした観光施設がなぜそこに建ったのか、観光施設になる前は何だったかといった点を調べていくことによって、現代日本社会がどのように成立していったかを知る手がかりを得ることができます
 
参加した皆さん、お疲れ様でした!
 
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