「地域文化発信演習」の成果その3:国宝って結構身近!?
2022年7月26日
しばらく間があきましたが、以前から続いている、昨年度の新科目「地域文化発信演習」の成果:学生による「誉田(こんだ)八幡宮」のレポートを見ていただきます。ここまで紹介したものとはまた異なり、「国宝って意外と身近だった」という学生のもった印象をお楽しみいただけたらと思います。
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上の写真は、満月の9月15日に行われる神輿渡御の写真です。暗闇の中でも美しく輝く中央の神輿は、鎌倉時代末期に源頼朝が寄贈した、「塵地螺鈿金銅装神輿(ちりじらでんこんどうそうしんよ)」と呼ばれる国宝です。
誉田八幡宮に隣接している応神天皇陵(御陵)は、現在宮内庁の管轄ですが、終戦までは御陵の中を周囲の村人が掃除や手入れを行い、木材を燃料にするなど、御陵は天皇の墓だけでなく生活の一部でもありました。写真の神輿はレプリカですが、源頼朝に寄贈されてから明治初年に国宝に指定されるまでの800年間は、本物の神輿が使われていました。
頂上には金と銅で作られた鳳、宝相華文(ほうそうげもん)透かし彫り(8弁のとがった花模様)や帽額(もこう=御廉の上辺を飾る布)並びに七色に輝く螺鈿に彩られ、八花形の鏡をはめこんだ透かし彫りの花鬘(はなかつら)12枚が吊るされています。輿の四周に下げた布地も、当代の錦織で遺例の極めて少ないものです。鎌倉期美術工芸を集めて作られた神輿で非常に貴重な資料です。
現在は神輿に触ることはできませんが、鎌倉時代の建築や装飾技術の一端を、ガラス越しではなく間近で見ることができます。
今回、インタビューを行った誉田八幡宮の宝物庫には、写真の神輿の他にも国宝一点や、応神天皇陵が造営された由来が描かれている誉田宗廟縁起(こんだそうびょうえんぎ)などの重要文化財が宝物庫に保管されています。
国宝といえば厳重に保管され、手入れにも時間かかかるという印象がありますが、神輿を所有している誉田八幡宮はどのように管理されているのでしょうか。
「バルサン焚いてます」
………んんん? バルサン?
そうです、害虫駆除に最適なあのバルサンです! 重要文化財や国宝というものに対して、私は一気に親近感が湧いてきました!
親近感を感じたとはいえ、文化財の管理は難しく、宝物庫の気温や湿度は一定に保ち、雨季にはカビの発生に気をつけなければいけません。神輿は拭き掃除ができず、年に一度の点検でカビが生えていないかなどを確認し、ガス燻蒸で殺菌するしかない状態です。
バルサンは身近にある道具ですが、苦肉の策でもあります。
実際に、全国の博物館に出品依頼が多い、平安時代に書写された後撰和歌集は、現物が並べられていました。これも、カビが発生して痕が残ってしまうと、その修繕時に文化庁に毀損届を提出する必要があり、手間がかかります。
日本学科では、文化財保存について詳しく学ぶことができる学芸員コースが存在します。そのなかで、文化財は行政ではなく管理者が責任をもって管理する必要があると学ぶのですが、管理者はバルサンを焚いて害虫対策をしているなど意外と身近な方法で管理されているというわけです。
鎌倉時代に作られたものが現在も残っているのは、当時の技術の高さゆえだけでなく、文化財を受け継いできた先人たちの努力の賜物といえます。そんな国宝や文化財を、土曜日の午後1時~4時まで拝観することができます。拝観料400円を片手に、ぜひ宝物庫まで足を運んでみてください。
【関連リンク】
▼「地域文化発信演習」の成果
その1:誉田八幡宮の「特別」とは? 放生橋から歴史を見る
その2:羽曳野の宝、そして日本の宝、誉田八幡宮の「特別」とは?
その3:国宝って結構身近!?
その4:歴史から見る誉田八幡宮について
最終回:【おのれは知っとる?】「応神天皇陵古墳」と「誉田八幡宮」の関係

