日本学科のいろいろな学びかた[続編]ーー地元「河内」の漢詩を掘り起こす
2021年12月21日
日本学科の専門演習(漢字文化学ゼミ)では、プロジェクトとして、大学キャンパスのある藤井寺・羽曳野を中心とした河内地域を題材とする漢詩作品を取り上げ、グループに分かれて作品の解読を行い、詩に詠まれた現地を訪れて実地調査も行っています。
昨年度から岡田松窓(1864-1927)の漢詩を選んで取り組んでいます。
岡田松窓(1864-1927)は藤井寺の豪農、実業家であるとともに、大阪を代表する儒学者・藤澤南岳(1842-1920)の門人で、漢詩結社の逍遥遊社のメンバーとしても活躍した漢詩人でもありました。『松窓詩鈔』『松窓遺稿』など4部の漢詩集を残しています。
岡田松窓(関西大学泊園書院記念会HPより)と『松窓詩鈔』
いずれの作品も注釈や現代語訳がされておらず、学生は漢和辞典と自分の思考力・想像力を頼りに解読し、いかに明快に伝えるかに挑戦することになり、専門演習の恰好の研究対象です。
今回は数ある松窓の作品から地元の名刹である葛井寺(ふじいでら)、野中寺(やちゅうじ)を詠み込んだ律詩二首「出門偶然成詠」「野中寺」を精読し、その成果を「平仄(漢詩の音調)」「書き下し文」「現代語訳」「語釈」の各項目に整理した資料を作成しました。
11月10日(土)、自分たちの解読結果をまとめた資料を手に、詩に詠まれた場所を実際に訪れ、詩の内容・表現と現地の状況とを検証しました。
まず一つ目の目的地である葛井寺。西国観音霊場の第五番札所で、国宝の千手観音像でも有名です。
「出門偶然成詠(門を出て偶然に詠を成す)」は、春まだ浅い夕暮れ時、松窓さんが自宅の門を出て、近隣の寺社や古墳を散策する様子を詠んでいます。次はその一節です。
一 架 紫 雲 藤 井 寺 (一架の紫雲 藤井寺)
千 重 翠 巘 葛 城 山 (千重の翠巘 葛城山)
担当の学生が解説します。「『一架・いっか』は一つの棚。『紫雲・しうん』は紫色の雲・瑞雲。『一架の紫雲』で、棚をかけたように棚引く紫色の瑞雲(めでたい雲)の意味。『千重・せんちょう』は、幾重にも重なりあうこと。『翠巘・すいげん』は緑色をした峰。二句を通しての意味は、『一筋の紫の雲が棚引く藤井寺、幾重もの緑の峰が重なる葛城山。』これは松窓さんの眼に映った約100年前の藤井寺の様子です。」
現地を訪れると、葛井寺の本堂や山門に「紫雲山」の扁額が掛かっていました。詩の「紫雲」の語は、この葛井寺の山号に掛けて、春の夕暮れの雲の色を表現したのがわかります。現地を訪れて気づいたことです。
次の目的地の野中寺まで徒歩で約30分。途中、世界文化遺産に登録された仲哀天皇陵古墳(岡ミサンザイ古墳)を見学しながら行きます。墳丘の長さが242メートルもある巨大前方後円墳で、古市古墳群で3 番目の規模を誇ります。周囲に幅の広い濠と堤を巡らしていて美しく、夏は蓮、冬は渡り鳥が目を楽しませてくれます。近くをバスで通りながら、初めて古墳を目にする学生も多く、その大きさと美しさに圧倒された様子でした。
さて、第二の目的地・野中寺に到着、日ごろ通学で見慣れた朱塗りの山門をくぐると、厳かな静寂の空間が広がっています。松窓さんのもう一つの詩「野中寺」の後半の4句、
僧 影 過 寒 殿(僧の影は寒殿を過(よ)ぎり)
鐘 聲 度 古 村(鐘の声は古村を度(わ)たる)
田 間 餘 柱 礎(田間に柱礎を余(あま)す)
傳 是 舊 山 門(伝ふらくは是れ旧山門)
学生が解説した後、〈詩の内容・表現〉と〈実際のお寺の様子や古地図〉とを比較してみます。「僧が通り過ぎた寒々とした建物『寒殿』は、あの渡り廊下ではないか」、「昔ながらの村に響き渡ったという『鐘の声』、それはこの鐘つき堂で打たれた鐘の音だろう」、「『羽曳野市史』巻8に、昭和30年頃まで現在の山門の南側に旧山門の礎石が露出していたと書いてある。今も塔や金堂の礎石が見えているように、最後の二句はそれを詠んだのでは?」――などなど、現地調査ならではの発見がありイメージも膨らみます。
共同プロジェクトの活動は、文献調査の成果に今回の実地調査の結果を盛り込み、「鑑賞」の項目を執筆して一応の完成を見ます。これらの研究成果は冊子にまとめたり、スライドで発表・紹介したりして、情報の保存と発信とを図ります。
漢字文化学ゼミでは、このようにして地元が生んだ漢詩人・岡田松窓の埋もれた作品を見える形で発信していく予定です。
最後に実地調査を終えての学生の感想を紹介します。
- 野中寺では詩に詠まれた鐘の前で詩の解説を聞き、当たり前だが、同じ鐘を見て詩を詠んだんだと思うとなにか贅沢をしているような気分だった。
- 漢詩の現地巡りで、その場に行くと、「実際にこの場での事を詠んだのだなぁ」と不思議な気持ちになると共に、作者がどのような光景を見てどう思ったのかを考えることができた。
- 実地調査で、葛井寺や野中寺を訪れて詩と照らし合わせると、詩を見るだけでは分からないことが見えてきたように思う。 葛井寺ならば「紫雲」の意味、野中寺ならば、実際に僧侶が歩んでいた風景など、自分で想像するだけよりもより鮮明にわかった。
- 野中寺の詩を担当したこともあり、野中寺の視察が一番印象に残った。詩に詠まれた鐘の前で詩を解説したが、そのあたりがちょうど当時詠まれた場所であることを思うと、現代と過去が繋がったような感慨深さを覚えた。
- 自分が担当した葛井寺の詩において、「紫雲」という言葉が「紫雲山葛井寺」から来ていることが分かり、詩の表現 と現地の繋がりをより感じることができた。そこから葛城山を望むことができればなお良かったが、時が経って様々な建造 物が立てられたため、見ることができず、作者と同じ景色を見ることは適わなかった。
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