日本学科のさまざまな学びかた[後編]



「日本学科のさまざまな学びかた[後編]」では、久しぶりに実施された実地研修の様子をご紹介します。

新型コロナ感染症も収まってきた11月の末の日曜日、日本文化ゼミでは久しぶりに実地研修を実施しました。今年のゼミテーマは「もののけの日本史」。夏学期に学んだ平安時代のもののけに関連する京都の「もののけスポット」を巡ります

JR嵯峨野線の円町駅で集合し、まずは、京都アスニー平安京創生館に設置された平安時代京都のジオラマや発掘調査の成果を確認。今いる場所と、これから巡る場所が、平安時代の京でどのような場所だったのかを改めて学びます。ボランティアの方に解説をしていただきました。ありがとうございました。

 

それから、大極殿跡とされる公園へ。大極殿といえば、朝廷の正殿、即位の大礼や国家的儀式が行われた建物ですが、現状は……あれ? そういえば、京のメインストリート、朱雀大路もどうなっているのかな……今は。千本通となっていますね。

次の考察ポイントに移動するまでも、「このあたり、かつての大内裏なのに、今は、完全に住宅地なんだ」と、学生から驚きの声も

 

さて、このあたりは、『今昔物語集』に、鬼が出てきて女性を食べてしまったというお話のまさにその事件現場、「宴の松原」の跡地なんですよ。

が、そんな雰囲気は全く残っておらず、道の隅っこに説明パネルがあるだけです。「ここも、完全に住宅地だねえ……」

そして、そこからまっすぐ北に向かって一条通へ。室町時代の「百鬼夜行」、付喪神(つくもがみ)たちがパレードをしたといわれる通りに出ます。このあたりから少し西の「大将軍商店街」は、「百鬼夜行の通り道・一条妖怪ストリート」として、「妖怪イベント」が開催されたりする場所です。普段でも、商店街の片隅に、もののけが潜んでいるのですが、そのもののけたちを発見することができるかな?

 

この後、桓武天皇が、京の鎮護のために星神大将軍を勧請した社にゆかりの大将軍神社や、桓武天皇生母の高野新笠の祖神が祀られた神祠が起源とされる平野神社に向かいます。

 

昼食の後は、北野天満宮へ。菅原道真が大宰府に左遷されたまま亡くなった後、都では道真公の祟りだとされた災害が続きましたので、その道真を天神様としてお祀りしました。その北野天満宮に参拝します。

 

今、北野天満宮の宝物殿では、一条戻り橋に出た鬼の腕を切り落としたとされる太刀「鬼切丸(髭切)」が展示されているのです。これも、もののけゆかりの宝物ですね。早速、拝観させていただきます。宝物殿には、それ以外にも多くの宝剣が展示されていて、学生は、圧倒されつつ熱心に拝観していました。

 

さて、宝物殿では絵馬の説明も受けましたので最後に絵馬所を見学して、ここから、市バスに乗って晴明神社へ。平安時代の陰陽師安倍晴明公を祀る神社です。

 

そして、本日の最終ポイント、一条戻り橋へ。安倍晴明が、この橋の下に式神を隠していたとか、先の「鬼切丸」が腕を切り落とした鬼と出会った場所としてなど、「妖怪ストリート」一条通が堀川と交差するこの場所に架けられたこの橋には、もののけに関する伝説が多くあります。その橋の下をくぐって、本日の実地研修は終了です。

 

観光で巡るだけの京都では見えない歴史への旅でしたが、学生たちは、資料で読んだ世界とは全く異なる雰囲気の現代の京都から、平安時代をイメージするという課題に、少し戸惑った様子でした。

この戸惑いから生まれる「なぜ?」が、次の学びのきっかけになりますように

 

 

【関連リンク】

→日本学科の紹介はコチラ

→学科ブログ:「日本学科のさまざまな学びかた[前編]」

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