5回目の東北復興ボランティア -その1-
2019年9月4日
2016年から始まった学生と共に行く復興ボランティアも、今回が5回目(18年は2回)です。
仙台に到着した日は8月8日。
七夕祭りの期間(最終日)でもあったため、市内中心部に移動し、豪華絢爛な七夕飾りの中*1を観てまわりました。
東日本大震災以降、人々の祈りの場にもなっている祭典。
短冊には、震災復興の願いとともに、全国各地の被災地に思いを寄せる言葉も見られました。
*1 七夕まつり:
本来、旧暦7月7日の行事として全国各地に広まっています。
仙台七夕まつりは、その季節感に合わせるため、新暦に1カ月を足した暦である中歴を用い、8月6日~8日に行われています(仙台七夕まつり協賛会HPから)。
9日は、被災地の現状を知るため、宮城県本吉郡南三陸町、福島県浪江町などを訪ねました。
南三陸町では、保存か解体で揺れる防災対策庁舎や民間震災遺構として残された高野会館などを見学しました。
防災対策庁舎 を震災遺構として保存するかについて、町民の賛否は二分しています。
現在は、震災から20年となる2031年まで県が保有して維持・管理し、議論を続けることになっています(現在、周囲を震災復興祈念公園にするため整備中)。
こうした中、高野会館を所有する「南三陸ホテル観洋」女将の阿部様は、「震災を風化させてはいけない」という思いで、高野会館を現状のままで保存すると話されました。
- 民間震災遺構「高野会館」
- 保存か解体で揺れる「防災対策庁舎」
福島県では、NPO法人野馬土が行っている「福島第一原発20km圏内ツアー」に参加し、コンダクターの志賀様に浪江町や大熊町などを案内していただきました。
志賀さんは、原発建設当初から反対されており、今回の震災で小高区にある自宅から避難。
避難指示解除準備区域*2になった1年後に訪れると、自宅は人が住める状態ではなくなっていたとのこと。
原発は住民を苦しめ地域を分断する元凶であり、「原発さえなければ」と話された言葉が特に印象に残りました。
この日、浪江町の公園にある線量計(放射線濃度)は、0.368μSv/hという数値でした。
大阪府富田林保健所での0.063μSv/h(8月9日16時現在)という数値と比較してみてください。
*2 避難指示解除準備区域:
福島第一原発事故による避難指示区域の一つ。事故を起こした原子炉が冷温停止状態に達した後、それまでの警戒区域、避難指示区域を見直して新たに設定されたもので、放射線の年間積算線量が20mmSv以下となることが確実であると確認された地域。
当面の間、引き続き避難指示が継続されるが、復旧・復興のための支援策を迅速に実施し、住民が帰還できるよう環境整備を目指す(デジタル大辞泉)。
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