李ゼミ_学外学習:西琳寺・当宗神社



李美子ゼミは、学外学習の一環として羽曳野市にある西琳寺と当宗神社を訪問しました。

漢字文化が日本に伝わった歴史を調べるなか、大学の付近にある西琳寺と当宗神社が漢字文化の伝来と関わっていたのではないかということに気づき、自転車をレンタルし、西琳寺と当宗神社を訪問しました。

まず、西琳寺では、ゼミ生の木村ももさんが事前に調べた西琳寺について発表しました。その後、他のゼミ生と一緒にお寺の説明看板や境内のかつての五重塔礎石などを確認しました。西琳寺は文筆によって倭王権に奉仕したフミヒト(史人・文人・書人)を管轄した渡来系氏族の「文首(ふみのおびと)」一族が創建したようです。歴史文献にも朝鮮半島の百済より王仁と言う人が『千字文』『論語』を日本に将来したと記録されています。王仁の子孫とされる「文首」一族は竹内街道と東高野街道の要衝地を抑え、財力を維持しながら壮麗な寺院も営んでいたとされていましたが、時代の変遷によってやがて没落し、歴史の表舞台からも消えたようです。

近くの誉田八幡宮には中国から渡来した山陽公(後漢の最後の皇帝の爵号)を祭っている「当宗神社」という祠があります。谷口貴保さんが「当宗神社」ついて事前に調べたものを発表しました。「当宗神社」の紹介の看板には朝鮮半島の楽浪郡から渡来した「当宗忌寸」(まさむねのいみき)の祖神である山陽公を祭っていると書かれていますが、朝鮮半島の楽浪郡は中国の後漢の時代は中国の漢王朝の領域でした。『新撰姓氏録』という古代文献に当宗忌寸一族は後漢の「献帝四世孫山陽公」の後裔であるとの記録があることから、当宗忌寸一族はおそらく5世紀頃に楽浪郡を経てこの羽曳野市の地域に渡来した中国大陸系の渡来人であると考えられます。

漢字文化は百済からの渡来人だけでなく中国大陸系の渡来人からも広がったのではないかと考えられます。ゼミの皆さんは西琳寺・当宗神社の見学を通して、地域社会に朝鮮半島と中国大陸の交流が反映されているお寺や神社があることを初めて知り、学外学習は地域社会の歴史や文化を理解し、体験できる一つの重要な授業形態であることも理解したようです。

国際キャリア学科では、このようなフィールドワークを通して、地域文化や歴史について海外との関わりに触れながら学ぶ活動を行っています。大学の講義室から現地へ足を運んで学ぶことで、より体験的な知識を得ることができます。これからも多くの活動を行っていきます。大学周辺が歴史の宝庫である四天王寺大学はまさにそのような活動にピッタリの学び舎です。今後もご期待ください。

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