人文社会学部 日本学科 -最新情報-

日本学科 漢字文化学ゼミプロジェクト「河内漢詩漢文名所づくり」(2)

生駒山人「二丈月升」(二上山にかかる月)

日本学科の漢字文化学ゼミでは、ゼミの共同プロジェクトとして、藤井寺・羽曳野を中心とした河内地域を題材に詠まれた漢詩作品を取り上げ、グループに分かれて作品の解読を行い、詩に詠まれた現地を訪れて実地調査も併せ行っています。

このゼミプロジェクトの研究成果、現在の写真や江戸時代の絵入り観光ガイド『河内名所図会』(秋里籬島、享和元年〈1801〉)の挿絵を添えて順次紹介しています。

今回紹介するのは前回と同じく江戸中期の儒学者である生駒山人(いこま さんじん 1712-1753)の連作「河内八景」8首のうちの一首「二丈月升(二丈に月升る)」です。タイトルの「二丈」は、原著の『生駒山人詩集』(宝暦12年〈1762〉)巻7に「にじょうがたけ」と振り仮名がついています。そう、「二丈」とは「二上山」、つまり「二上山に昇る月」を詠んだ詩です。

二上山は、河内・大和(大阪府・奈良県)の国境にある、雄岳(575メートル)・雌岳(474メートル)の二つの峰からなる、まるでフタコブラクダのような独特の姿をした山です。都からみて魂の安住の地とされた西方に望まれる山として、古代から宗教的な意味をもっていました。雄岳の山頂には皇位継承の争いで処刑された大津皇子(663-686)の墓があります。この山に葬られた弟を憐れんだ姉の大伯皇女(おおくのひめみこ)が詠んだ歌、「うつそみの人にあるわれや 明日よりは二上山(ふたかみやま)を弟背(いろせ)とわが見む」は広く知られていますね。四天王寺大学学歌にも「はるかなる 二上の峰に 光さやけきその朝(あした)」(作詞 武田正躬、作曲 梁瀬直子)と歌われる河内の名山です。

二丈月升(二丈に月 升る)

白 雲 天 晩 倚 東 楼  白雲 天 晩()れて東楼に倚()り

望 久 星 河 影 欲 流  望むこと久しくして 星河 影 流れんと欲す

借 問 蛾 眉 山 上 月  借問(しゃもん)す 蛾眉山上(がびさんじょう)の月

何 如 二 丈 半 輪 秋  二丈の半輪(はんりん)の秋に何如(いず)れぞ

【現代語訳】二上山に月が昇る

白雲がうかぶ夕暮れ時 〔世俗の煩いを離れて〕東に向いた高楼によりかかり

久しく眺めていると 天の川の星影が西に流れていく

ちょっとお尋ねしたい、〔李白の詩で知られる中国の名山の〕峨眉山の上にかかる月は

二上山の上に昇る秋の半月と比べてどうだろうか〔二上山の月の方が素晴らしいでしょう〕


      四天王寺大学から見た二上山      大和川と二上山(『河内名所図会』より)

この詩は1句が7字、全体が4句からなる七言絶句です。第1・2・4句末の「楼ロウ」「流リウ」「秋シウ」が韻を踏んでいます。

第1句(起句)の「白雲」は「白い雲」には違いありませんが、中国古典詩の世界では、単に「白い雲」というだけではありません。「白雲」は世俗の束縛から解放された自由、さらには隠者の象徴とされました(松浦友久『漢詩の事典』大修館書店、1999年、685頁)。作者の生駒山人が、世俗から離れた自由な境地にあることが想像されます。

第2句(承句)は、作者が高楼の東の欄干によりかかり、夕暮れからずっと二上山を眺望しているうちに、天の川の星影が東から西へと大きく移り流れていくという、天空のダイナミックな動きが描かれます。第4句に「秋」とあるように空気の澄んだ秋の夜空の様子です。

第3句(転句)の「峨眉山(がびさん)」とは中国の四川省にある名山です。なぜ二上山を詠む詩に突然中国の「峨眉山」が出てくるのか。それは、李白に「峨眉山月歌(峨眉山月の歌)」という名作があり、「山」と「月」との取り合わせといえば、先ず思い浮かぶ山だからです。下にその李白の詩を紹介しておきます。

峨眉山月歌(峨眉山月の歌)    李白

峨 眉 山 月 半 輪 秋  峨眉山月 半輪(はんりん)の秋

入 平 羌 江 水   影は平羌江水(へいきょうこうすい)に入りて流る

夜 発 清 渓 向 三 峡  夜 清渓(せいけい)を発して三峡(さんきょう)に向かふ

思 君 不 見 下 渝 州  君を思へども見えず渝州(ゆしゅう)に下る

【現代語訳】峨眉山にかかる月の歌

峨眉山に半月がかかる秋に

月の光は平羌江(へいきょうこう)に差し込み〔私を載せた船とともに〕流れていく

〔私は〕夜のうちに清溪を出発して三峽へと向かっていく

〔その道中〕君を〔見たいと〕思っていたが見えないまま 渝州(重慶)へと下っていく

      李白      峨眉山図(『古今図書集成』より)

この詩は李白が25歳の時、故郷の四川省を離れる時に見た光景を詠んだ詩です。夜に平羌江(長江の支流)の港町の清渓を出発した李白は、月光を浴びつつ、故郷の名山である峨眉山の上にかかる半月を見ながら故郷を離れ、重慶へと下っていきました。この後、生涯、故郷に帰ることのなかった李白にとって、故郷は遠きにありて思い、悲しく歌うものでした。李白に「静夜思」という詩がありますね。「頭を挙げて山月を望み 頭を低(た)れて故郷を思ふ」――李白に故郷を偲ばせた「山月」とは、李白が最後に見た故郷の景色「峨眉山にかかる月」だったかもしれません。

閑話休題。生駒山人の「二上月升」が李白の「峨眉山月歌」を下敷きにして作られていることは一目瞭然ですね。先ず、「秋」「流」など同じ韻字を用い、また二句目に同じ「影」「流」の字を使っています。また「峨眉山」にかかっていた「半輪秋(秋の半月)」を「二上」の峰にかけかえています。李白の詩で知られた「峨眉山にかかる月」を日本の「二上山にかかる月」に置き換え、「AはBに何如れぞ(AはBに比べてどうか、Bには及ばない)」という言い方で、「峨眉山の秋の月も美しかろうが、二上山のそれには及ぶまい」と二上山の月を褒め上げているのです。

月を眺めていたくなる季節になりました。今年、令和2年(2020)は、10月1日が中秋の名月でした。四天王寺大学のキャンパスは羽曳野丘陵の上にあるので、二上山を見ることができます。今年は新型コロナ感染症の影響で自宅にこもることが多かったと思います。次第に日が短くなっていく秋の夜、しばし月を眺めながら、二上山や峨眉山に想像の羽をはばたかせてみてください。

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