人文社会学部 日本学科 -最新情報-

日本学科漢字文化学ゼミプロジェクト「河内漢詩漢文名所づくり」(1)

漢字文化学プロジェクトとは?

四天王寺大学のある羽曳野・藤井寺は、大都市大阪の近郊にあるため、江戸時代から綿花や菜種などの商品作物が栽培され、経済が発展しました。それにともない、芸能や学問などの文化も栄えます。江戸中期には能楽や俳諧といった芸能・文芸が盛んになり、また儒学の教養を身につけた知識人の間で、漢詩を作って交流するサークルも形成されました。

日本学科の漢字文化学ゼミでは、ゼミの共同プロジェクトとして、藤井寺・羽曳野を中心とした河内地域を題材とした漢詩作品を取り上げ、グループに分かれて作品の解読を行い、詩に詠まれた現地を訪れて実地調査も併せ行っています。

いずれの作品もこれまで注釈や現代語訳がなされておらず、学生は漢和辞典と自分の思考力・想像力を頼りに解読し、いかに明快に伝えるかに挑戦することになり、専門演習の恰好の研究対象です。

このゼミプロジェクトの研究成果を、生駒山人「倭水(=大和川)落雁」、同「二丈(=二上山)月升」、北山橘庵「道明寺碑」、同「過高鷲原」、並河寒泉「雄略帝陵」、藤澤南岳「臥龍橋」、岡田松窓「野中寺」を現在の写真や江戸時代の絵入り観光ガイド『河内名所図会』(秋里籬島、享和元年〈1801〉)の挿絵を添えて随時紹介していきます。

江戸時代に「名所」として知られ、漢詩にも詠まれた河内の風景や寺社。現代の我々が見過ごしている古くて新しい「名所」の紹介が、地域の魅力発見の一助となればと思います。どうぞご期待ください。

生駒山人「倭水落雁」(大和川の雁)を読む

今回は生駒山人(いこま さんじん 1712-1753)の「倭水(やまとがわ)雁落」を紹介します。生駒山人は、江戸時代中期の儒学者で、本名を森文雄といい、河内国日下村(現在の大阪府東大阪市)で暮らしました。生駒山人は号(ペンネーム)です。

彼の『生駒山人詩集』(宝暦12年〈1762〉)巻7には「河内八景」という8首からなる連作があり「倭水雁落」はそのうちの一首です。

今でこそ大和川の周辺は住宅が立ち並んでいますが、この詩の読まれた江戸時代中期には、人家は希(まれ)で、秋から春にかけて雁や鴻(大きな雁)が羽を休める姿を目にできたのがわかります。

倭川(やまとがわ)雁落

秋風平野少人烟  秋風 平野 人烟(じんえん)少(まれ)なり

一水西奔日本川  一水 西に奔(はし)る 日本川(やまとがわ

垂晩雁鴻鳴欲散  晩に垂(なんな)んとして 雁鴻(がんこう)鳴いて散らんと欲す

帛書知向上林伝  帛書(はくしょ)知んぬ 上林(じょうりん)に向いて伝はることを

【現代語訳】

大和川に雁が舞い降りる

秋風の吹く平野には炊事の煙をたてる人家もまれだ

西にむかって勢いよく流れる一筋の水流 それが大和川だ

日が暮れかかる頃 雁鴻(かり)が鳴いて飛び去ろうとする

帛書(絹に書かれた手紙)は〔漢の時代のように雁が〕上林苑に伝えるのだろうか

【平仄・押韻】

〇 〇 〇 ● ● 〇 ◎
● ● 〇 〇 ● ● ◎
〇 ● ● 〇 〇 ● ●
● 〇 〇 ● ● 〇 ◎

漢文の時間に習われたでしょう、1句が7字、全体が4句からなる七言絶句で、第1・2・4句末の「烟」「川」「伝」が押韻(韻を踏む)しています。

平仄(ひょうそく)は、はじめて聞く方が多いかと思います。漢字の発音には、平声(平らで伸びやかなトーン)と仄声(高低の抑揚のあるトーン)とがあり、その平・仄2種のトーンを偏りなく配置して、音読したときの美感を生み出すための規則です。漢詩は意味内容だけでなく、音声上の美感にも工夫をこらしているんです。ここでは、平声を〇、仄声を●、押韻字を◎で示しました。「倭水落雁」の漢字の配置が、平声〇と仄声●が単調にならないように置かれているのが見て取れるでしょう。

第4句の「帛書」「上林」は少し説明がいりますね。「帛書」は絹布に書かれた手紙、「上林」は、中国の漢の都にあった広大な庭園の名前です。「帛書」と「上林苑」には、こんな物語があります。――時は前漢の時代(紀元前206-紀元8年)、匈奴(北方騎馬民族)に使者として派遣された将軍 蘇武(そぶ)は、そのままバイカル湖のほとりに留め置かれました。漢は蘇武を返すように求めましたが、匈奴は「蘇武はすでに死んでこの世にいない」と要求に応じません。そこで漢側は一計を案じ、「蘇武の帛書(手紙)を足に結びつけた雁が上林苑に飛来し、蘇武の生存が確認された」と主張して返還を迫り、蘇武は十九年ぶりに故国に戻れたのでした。祖国を思い匈奴に屈しなかった蘇武のことは、中島敦の小説「李陵」に描かれています。

第一句・第二句は、秋風の吹く大和川周辺の広々とした情景が描かれ、第三句では、雁鴻が飛び去るという、動きのある描写がなされています。そして、第四句では、その雁が日本から中国へ(蘇武の故事さながらに)手紙を届けるのだろうかと思いを巡らせました。広々とした大和川の風景は、詩人に時間と空間とを超越する想像の翼を広げさせたのです。

担当学生の感想

私は、生まれも育ちも大阪市内で、大学入学まで南河内に全く縁がなかったので、今回の学外実習で、南河内の様々な「顔」を、漢詩を通して学ぶことができました。

漢詩と聞くと、孟浩然や李白、杜甫などを思い浮かべますが、今回は、日本の漢学者などが詠んだものを、実際に詠まれたとされる場所に赴いて鑑賞しました。今となっては、コンクリートに埋め尽くされてしまったり、建物があったりと、その当時の風景を目の当たりにすることの簡単ではないものがありましたが、「おそらく、ここで詠んだのだろうな」「何を思って詠んだのだろうか」などと思量しながら漢詩を吟味するのは感慨深いものがありました。

漢字の平仄(ひょうそく 漢詩の音律上の規則)を調べるところから、現代語訳まで、興味・関心をもって取り組みました。「二四不同」「二六対」「反法」「粘法」といった平仄のルールを学び、漢和辞典で平仄を調べ、規則を確認していく作業は今までの漢文学習と比べ物にならないほど面白いものでした。

また、これまで知らなかった「帛書」「上林」などの詩語についても、『大漢和辞典』を用いて詳しく調べ、その語の背景も学習しました。学外実習では、雄略天皇陵、臥龍橋と、普段行かない場所に足を運び、江戸時代の景色を思い浮かべながら、詩について考え、詩人の心の理解に努めました。

 

 

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