人文社会学部 日本学科 -最新情報-

優れた発信者であると同時に優れた受信者に——パフォーマンス実践演習での学び その3

厳しい暑さが続いた8月後半の4日間、日本学科の集中講義「パフォーマンス実践演習」の後半授業が実施されました。

4日間のうち3日間は、朗読クラスと身体表現(演劇)クラスに分かれてのワークショップが実施され、4日目は、それぞれのクラスの成果発表会と学びの共有のための時間が設けられました。

しかし、この集中講義前半の授業で実施されたボディーマッピングの授業内では、まだ、声を出すためには自分の筋肉をどのように使いこなすのかがしっかりと理解できていないという学生がいたために、急遽、ご担当の中村佳世子先生にご無理を申し上げて、4日目の成果発表に先立って、再度、ボディーマッピングとヴォイス・トレーニングのレッスンを90分お願いしました。レッスンの最後には、手話をつけながら、「ふるさと」を合唱しました。

中村先生、ありがとうございました。

こうして、後半の成果発表会に必要な声を出すための身体の準備を整え、いよいよこの集中講義で最高に緊張する時間を迎えます。

朗読クラスでは、6名の受講生が協力しあって完成させた有島武郎の『一房の葡萄』を朗読しました。大正時代の西洋文化の香り高い横浜の情景や主に欧米人の子弟が学ぶ学校で日々をすごしていた主人公の心理は、現在の大学生にはイメージすることが難しい世界だったと思います。

が、3日間のレッスンを通じて、物語の世界をしっかりと自分のものとし、そして、クラスメンバーで一つの物語の世界を作るということに集中してきた受講者の朗読は、この物語を初めて聞いた学生もいたであろう演劇クラスの受講者にも、「声だけで、物語の世界の映像を表現できることに驚いた」と言わせる完成度の高いものになっていました。

次に、演劇クラスの受講者が、3つのグループにわかれて、それぞれで作成した台本に基づく5分間のドラマを演じます。テーマは、コミュニケーションが成立しなかった場面、つまり、ディスコミュニケーションが生み出す世界を演じることです。

今度は、朗読クラスの学生が驚くことになります。「声がすごく出て、前にしっかり飛んでいる。」「いつもはあんな人じゃないのに、見事に『いやな女』を演じきっている・・・」

演技の完成度だけでなく、台本から自分たちで作ったこと、そして、それが破たんすることなく作品として成立しているということに驚かされました。

学びの共有のグループ学習では、演劇クラスと朗読クラスの学生が混ざり合って、お互いのクラスの学びについてインタビューしあって、それぞれのクラスで学んだことを紹介しあいました。

前期・後期を通じて7日間の学びのなかで、学生たちは、日々の目標を設定し、授業終了時点でその達成度と残された課題を自ら検証し、次の日の目標設定をしてきました。

そして、自分ひとりで作品を作り上げるのではなく、仲間と協力し、お互いの意思の疎通を図ってこそ、一つの作品が完成するのだということも学びました。

そうした過程で、コミュニケーションとは、発信者である「私」が、努力や工夫を重ねることは当然であるけれども、誰かが発信していることを受け止める存在としての「私」の意識の持ち方も大切なのだということを知りました。 

他者に対して心を閉ざすことなく他者の存在を受け入れ、自らの心も開いて、自ら伝えたいと思う気持ちを持つこと、コミュニケーション・スキルを学ぶとは、単なる「技術」だけを習得することではなく、気持ちの持ち方や感情のコントロール方法を学ぶことも重要なのだということを実感したのです。

この暑い時期の前半と後半の7日間にわたり、汗を流しながら(もちろん、冷や汗もありましたが・・・)、学生が真摯な取り組みの過程で学んだ様々なことは、これからの彼らが過ごす時間において大きな実を結ぶこととなり、必ずこの努力は報われることと思います

今回の集中講義を受講したみなさん、これからも集中講義で体得したことを忘れずに、一層の努力を重ねていってくださいね。

 

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