人文社会学部 日本学科 -最新情報-

伏見での実地研修(南谷ゼミの研修報告 その2)

南谷ゼミの実地研修報告の続きです。(その1はこちら

月桂冠大倉記念館では、ガイドの方の説明のもと、日本酒の製造工程を詳しく教えていただきました。酒蔵で仕込みの作業は、この日は行われていませんでしたが、発酵途中のどぶろく状態のお酒を実際に見せていただき、その香りを嗅ぐなどの貴重な経験ができました。

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その後、酒造りの工具などが日本酒製造に関する様々な資料が展示されている展示館でも丁寧な解説をしていただき、日本酒が出来上がるまで、そして、それが製品として、店頭に並ぶまでの過程をしっかりと理解することができました。そして、最後には、利き酒体験もさせていただき、お土産もいただきました。お世話になりました。ありがとうございます。

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大倉記念館を出て、すぐそばに十石舟の乗船場があるのですが、まずは、その対岸に渡ります。そこからは、今見学してきた酒蔵のすぐ脇を流れる宇治川の派流の様子がよくわかります。川べりに掲示されている地図を参考に、このあたりが、かつて、伏見港、つまり、川を利用した港であったこと、この運河の途中に、高瀬川と琵琶湖疎水が流れ込む合流点があることを確認します。そして、この伏見港が、京都市街地と淀川流域、さらには、淀川から瀬戸内海を通じて西国諸地域との人とモノの動きの拠点となっていたことを、実際の風景を前に確認します。

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十石舟乗船まで時間がありましたので、この場所、弁天浜の名前のゆかりとなった弁財天をお祀りする長建寺を拝観しました。紅葉がきれいでした。

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いよいよ、十石舟に乗船し、宇治川派流から、伏見城の外堀となった濠川(ほりかわ)へと、そしてこの濠川と宇治川本流の合流点に作られた三栖閘門(みすこうもん・水門)の見学に出かけます。

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途中、旧高瀬川と琵琶湖疎水との合流点を確認し、高瀬川を開削した角倉了以の記念碑などを確認しつつ、舟は三栖閘門の閘室(水門と水門の間に区切られた川の一部)へと入っていきます。ここで上陸して、三栖閘門記念館を見学します。

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明治時代まで、京都と大坂の間は淀川舟運が重要な輸送手段となっていました。そして、伏見港はその流通拠点として重要な場所でしたが、大正時代、1918年に始まった淀川改修増補工事により宇治川の水位が下がってしまい、この濠川を経由した伏見港と宇治川との船の通航ができなくなりました。閘門とは、こうした水位差のある二つの河川の間を、船舶が行き来できるようにするための水門の一種です。三栖閘門のおかげで、淀川へとつながる宇治川と濠川との間を、再び船が通航できるようになったのです。

が、現在では、このような舟運よりも陸上輸送が主流になったこと、さらには、上流のダムの建設により宇治川の水位がさらに下がったために、この三栖閘門は、まったく使われなくなり、今では、近代化遺産として保存されているのです。学生たちは、資料館で、丁寧な解説と、ジオラマによる説明を見学することで、かつての伏見港の賑わいと水路を使った人とモノの移動の在り方を学び、それらが、現在ではすっかり忘れられていることを再確認しました。

そして、再び十石舟に乗って、弁天浜へと戻ってきます。かつての港はすっかり埋め立てられ、細くなった水路の両岸には、まだ酒蔵も残ってはいますが、その間にはマンションをはじめとする住宅が建ちならび、もはや、この場所が舟運の拠点として栄えていた時代の雰囲気はほとんど残っていません

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このように、今の伏見の町を見ているだけではわからないことが多くあったのです。今回の研修では、伏見という町が、酒造の町、清酒で有名な場所というだけでなく、歴史を通じて、淀川水運の拠点として栄えていたこと、それ故に、独自の歴史と文化を保った場所であったことも、理解できたことでしょう。

その土地の歴史を知り、実際にその場に行って、自分自身の体験を通じて、歴史と文化を確認する。これからも、こうした実際の体験を通じての学びも大切にしてきたいと考えています。

 

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