短期大学部 生活ナビゲーション学科 
ライフケア専攻 -最新情報-

雪溶けし春を待つ東北に行って来ました(その1)

  

私たち有志7人は、3月の連休を利用して、東北に行って来ました。
まず空路で仙台へ。
仙台といえば青葉城、伊達政宗公が名付けた仙台は「仙人の住む高台という意味だそうです。
その当時の理想的な街づくりを考えられたものだったようです。
その理想的な街づくりとは何か、6年前の東日本大震災からの復興のテーマとも重なるように思いました。
 
 
CIMG0838-320x240さて、みなさんは6年前の3月11日、何をしていましたか?

被災者の中には、仕事中だった人、家事で昼ごはんの片づけが終わり夕飯の買い物に出ていた人、学校の授業がちょうど終わって下校中だった人、中には卒業式を迎えて式服から着替えに自宅に帰っていた人もいました。
そんないつもと変わらない、あの日に震災が起こり、津波が街を襲いました。
一度は避難できた人ですら、次々に大津波が襲い掛かり、飲み込まれてしまいました。
懸命に逃げようとした人も、地震で倒壊した道路や建物が行く手を阻み、被害が拡大しました。

あれから6年経ちました。

仙台市内は、何事もなかったように元に戻っているように感じます。
でもその一方で・・・

  
今回は宮城県の南三陸町福島県の南相馬市小高区・原町区などを訪ねてみました。
3回に分けて報告します。
 
 
仙台南インターチェンジから高速道路で約100キロ余り、2時間半ほどかけて訪ねたのは、宮城県本吉郡南三陸町です。
こちらの「ホテル観洋」さんに泊まらせていただきました。
 
(南三陸町)

(南三陸町)


津波で大きな被害を受けた町のひとつですが、防災対策庁舎で最後まで「津波です。高台に避難してください
のアナウンスが繰り返し流されていたニュース映像を見た人もいるでしょう。
3階建ての防災対策庁舎の屋上まで水没するなど町職員42人が、5階建ての公立志津川病院も4階天井付近まで水没し、
入院患者107人中72人と職員3人が亡くなりました。
また、海抜15mの高台にあった特別養護老人ホームも1階が水没して49人が亡くなるなど、850人以上が犠牲となりました。
高台やビルの屋上に逃げ切れた人は、目の前を家や車、船やそして人が流されていくのを無念の思いで見つめておられました。
そんな光景は思い出したくもない辛い記憶ですが、一方で「風化」させてしまってはいけません
 
 
 
 
 
 教訓として後世に伝えていくため、ホテルが行っている「語り部バス」があり、私たちはそれに乗車しました。

CIMG0858-320x240語るのはホテルの従業員の方です。

幸いホテルが高いところに建っていたこともあって、津波の大きな被害は免れましたが、水道・電気・ガスなどのパイプラインを失いました。
 
それでも家を流され、命からがら逃げてくる人たちの避難所にもなりました。
従業員の方も、家を流され家族との連絡もつかない非常に不安のなか、自分たちにできることとして、避難されて来られる方のお世話をされたそうです。
 
 
 
 
IMG_8643「震災遺構」である高野会館や防災対策庁舎も車窓から見ました。
写真パネルで震災前の街並みと津波直後の街並みの大きな変化を確認しました。
 
今何もないように思えるこの地に、多くの生活が息づいていたのだと、一瞬にして町を飲み込んだ津波の恐ろしさを感じました。

そして現在は、土を10メートルも盛る作業の真っ最中でした。
ところが、10メートル高くしても当時の津波の高さ15メートルには及ばないという現実があります。
 
 
CIMG0852-320x240
 
 ここの「仙台」=理想的な街づくりとは何でしょうか。
限られたお金と、人々の復興への熱い思いが交錯します。

私たちの旅は始まったばかり。(その2)に続きます。

一覧に戻る
学科に戻る